数日を海で過ごし、目の色が変わっていく
千代田区立九段中等教育学校 山口尚己先生●1985年、東京都生まれ。主任教諭。水泳部顧問。大学で始めたトライアスロンは今もレースに出場するなど自身も海で泳いできた。九段への赴任初年度に二級小型船舶操縦士の免許を取得。着任して8年目となる今年も、九段下にある校舎のプールで、守谷の海で、生徒たちの成長を見つめている。
「至大荘」のハイライトは4日目の遠泳だ。その来るべき瞬間に向かって、春から生徒たちは校舎内の屋内プールで泳力を磨いていく。
「泳ぐためには体力が必要となることから、前日は食事や睡眠をしっかりとるといった生活習慣も求められます。目的を乗り越えようと普段の生活から取り組むところに、ひとつの意義を感じています」。
そう教えてくれたのは体育教師の山口尚己先生。日々の授業で生徒の泳ぎを見つめ、現地では指揮役を務めるなど同行事において最も生徒の近くにいるひとりだ。
現地入りすると生徒たちはさらに「至大荘」の意義を知るという。都心のプールでは知る由もない海の大きさにおののき、「はたして自分は泳ぎ切れるのか」といった内なる戦いを始めるようになる。
そして自身を疑う気持ちを拭い去るため、本番までの3日間を守谷の海で遊泳して過ごす。
「春先には泳げない生徒もいるように、泳力には当然ながら差があります。そのため4つのグループに分けて、それぞれ水泳部のOBを中心とした助手がついて指導します。泳力の弱い生徒たちのグループは、足のつくところから泳ぎ始め、徐々に岸から離れたところへ泳いでいけるように時間を過ごします」。
波打ち際から先へ進むと、しだいに足元が見えなくなっていく。足がつかない、何がいるかわからないといった恐怖を抱きながらも、ついには自身に打ち勝ち一歩を踏み出せるようになるのは、やはり集団の力なのだろうと山口先生は言った。
「ひとりでは絶対に海で泳ぐことはないけれど、普段一緒に学校生活を送る友人たちが頑張る光景に刺激を受け、当初は〝怖い"と口にしていた生徒たちが海を泳ぐようになっていく。すごみや可能性を見せてくれる彼ら彼女たちに、我々教師が感動することは何度となくあります」。
生徒たちは、日を追うごとに変わっていくのだという。
目の色が変わり、挑む姿勢が変わり、先生たちに言わせれば「染まっていく」ということが起きる。それは生徒たちが海を理解し始めたことで起きる現象といえる。海との触れ合いが減少している現在、「潮水はしょっぱい」ことさえ体験知として持たない生徒もいると聞くが、実際に揉まれることで徐々に海のことを知り、「泳げる」という自信を掴み取っていくのだ。
そうして迎えた4日目。生徒たちは「泳ぎ切るぞ」といった覚悟を持って海岸を離れる。隊列を組み、隣や前方に仲間たちが頑張っている様子を感じ、自らを鼓舞していく。その周りには、全日程を通して参加しているサポート役がいる。
二級小型船舶操縦士の免許を取得し、春から漕艇の練習を積んできた船上の先生や、海での実質的な指導にあたる同校のOBが、後輩の泳ぎに目を光らせ安全を確保する。
「活動の舞台が海ですから安全管理は徹底します。当日までの週末を、先生たちは漕艇訓練、助手たちは隊列指導のトレーニングに励みながら守谷で過ごします。春と夏は『至大壮』に捧げているイメージですね」と山口先生は言ったが、大人たちの入れ込み具合が相当なのは、やはり泳ぐのが海であるからだ。
海の表情は毎日どころか分刻みで変わる。天候や潮汐などを要因に刻一刻と変化するため、スケジュールの前半は穏やかな海で泳げたものの後半は荒れてしまい遠泳が中止になったこともある。生徒にとっては残念なことだが、「海とは、自然とはそういうものだと知ることも学びです」と山口先生は言った。
霧が濃い年もあった。沖から浜が見えないどころか、隊列の後方から先頭までが見通せない。そのような状況にあって助けとなったのは、浜にいる生徒たちによる「至大荘歌」を歌う声だった。
その声を頼りとして、先導役の先生やOBは船を操り、生徒たちは泳いだ。まさしく「至大荘」の目的である“九段生としての意義深い思い出”が刻まれた瞬間だ。
さらに海を泳いでいるとビニール袋が身体にまとわりつくことがある。
これらが海ごみかーー。
どこまでも泳いでいけそうな大きな海の中で、ごみがまとわりついてくる違和感を覚えることも、貴重な体験なのだ。
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