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言葉②「常に「普通」でいる。うまくいっているから偉そうにするのは愚かだし、今がだめでも卑屈になる必要はない」


Q:梅原さんがゲームを始め、世界的なプレーヤーになるまでの歩みについて聞かせていただきます。


始めたのは11歳で、当時から(格闘ゲームの)ストリートファイターの大会にも出ていました。全然勝てなかったですけどね。それで、14歳から毎日ゲームセンターに行くようになりました。

Q:毎日ゲームセンターに通うほどのめりこみ、上達したかったと?

毎日行こうと思ったというより、途中から「これはもう続けよう」と思ったんです。1年、2年経ち、「ん?これって記録だよな」「続けなきゃいけないことだよな」と思い始めたんです。自分が特別なプレーヤーだと思い込むためにやっていた部分もありますね。大雪、嵐、台風関係ない。絶対行くんですよ。風邪を引いていてもね。



Q:続けることで自信を得ていたのですね。

ゲームというのは歴史が浅いから、どういう練習が本当はいいのかとか、まだまだ研究不足でわからないことばかりです。だから、自分の思いつくことをやって試すしかないんですよね。

ただ、僕がこんなに長く続けられたのは本当にゲームだけ。これで生きてくぞ、これが好きだからやりきるぞって強く思えたからです。

Q:そういう日々が、17歳の時の世界大会優勝という結果につながりました。ただ、どれだけ勝利を収めても、ゲームだけで生活をすることはできないという苦い経験をされたわけです。ゲームを取り巻く環境が現在とは異なる中で、将来を見据えて、葛藤もあったのではないですか?

そうですね。子供の時にゲームが好きでゲームに打ち込んで、両親は一応認めてくれてましたけど、周りや学校の先生からは「そんな意味のない事やめろよ」と言われる、そういう時代でした。自分の能力を発揮できる仕事にもずっとつけなかったので、仕事にコンプレックスを感じながら生きていました。何をしても置いていかれるというか、うまくできなくて。



Q:そうした悩みが、22歳の時にゲームから離れるという決断につながりました。その後、一度は介護の仕事にも就いたとも聞きました。

色んなアルバイトをしましたが、どれも上手くできず続かない時に、両親が医療機関に勤めていたので、もう本当に最後の頼みの綱、流れ着くように介護という感じでした。

初日を終えて、「お疲れ様でした」「また明日からよろしく」って言われて施設を出た後、駅まで走っちゃったんです。「俺ダメなやつだと思ってたけど、若いってすげーな!」って。僕が担当したところは9割ぐらいの方が認知症で、ほとんどのことが自分ではできない状況でした。

そんな中で、体が自由に動いて、喋れて、自分の意思で今日食べたい物決められて、昨日のこと覚えてて、何より将来のことについてあれこれまだ考えられる。当時は不安しかなかったけど、何て素晴らしいんだろうって。そういう意味で、介護の仕事は一番勉強させられた、学びがあった仕事でしたね。

Q:その経験は、今でも梅原さんに活きていると?

活きまくってますよ。例えば練習で昼の12時くらいから始めて、夜中の1時に終わったりする日々が続いてたんですよね。そうすると、過度の疲れとストレスから、「こんなことしていて意味あるのかな?」「なんだ、この人生」と思えてくる。

でも「いや、今しかできないから、頑張ろう」っていう気になれるのは、やっぱりその時の体験があったからだと思います。



Q:ゲーム業界に注目が集まっていな時代を知っていて、挫折を経験したことが、世界的プレーヤーになっても、梅原さんが謙虚で居続けられ、努力し続けられる要因なのですね。

そうだと思います。今、昔と全く同じをことやっているのに、全く待遇が変わっているわけです。自分は変わってないんですよ。ただ環境変わっただけなんですよ。だから、たまたまうまくいってるからといって偉そうにするのは愚かだし、その逆もそうだと思うんですよね。うまくいっていなくても卑屈になる必要ない。

両方を体験したから「普通」でいられる。人から文句を言われる筋合いはないけれど、別にまったく偉くもないし、すごくもない。だから、僕は全力でやるんです。それで1年でも2年でも長くやれたら、もしこの仕事がなくなっても、「いや、でもあれ以上の頑張りは無理だから、しょうがないな」「環境の変化だな」って思えますし。自分の怠慢だとは思いたくないですからね。




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