種田:その後、正式に店舗リニューアルのお話をいただいて、内装イメージの資料の交換などをしていたのですが、最初にミーティングをしたのは開店の半年くらい前の5月でした。
𠮷田:会長(𠮷田克幸)も同席していて、昔の南極探検隊の資料写真でクルーなどの着こなしを見ながら、「こういうのをやりたいよね」と言っていたのを覚えています。それをもとに、船の中にいるようなイメージで内装を考えていただきました。
──種田さんは、この話を聞いたとき「やれるかな」などと不安に思いませんでしたか? 種田:知人から頼まれた時点で、もうある程度、やろうと決めていましたね。基本的にジャンルの違うことをやることには積極的で、これまでもイエスと言ってきました。映画だけでなく、インスタレーションとか、オリンピックの開会式もやったり、舞台もやったり、頼まれると「やってみようかな」と思うんですよね。
美術監督・種田陽平
映画のセットで店舗をつくることはよくあるのですが、実際に営業する店舗のデザインは4度目です。最初は知人の麻布のバーで、次は結婚式の会場、あとは友達に頼まれて肉屋を。
実際の店舗となると、現実が優先されて、あまりうまくいかない。ファンタジーを入れ込むのが難しいんです。でも玲雄さんの場合は映画好きなので、映画美術の良さをちゃんと残してもらっています。
タランティーノ監督がきっかけ
──𠮷田社長はどのくらい前から種田さんの仕事に注目していたのですか。 𠮷田:種田さんを知ったのは20年ほど前なのですが、それ以前から映画美術に関心がありました。
僕が生まれて初めてこの目で見た映画のセットが、タランティーノ監督の「パルプ・フィクション」(1994年)でした。当時、僕はロサンゼルスの大学で映画を学んでいたのですが、日本のメディアの通訳スタッフとしても働いていて、その仕事でスタジオを訪れたのです。
ちょうどジョン・トラボルタとユマ・サーマンが飲食店のセットでダンスをするシーンを撮影していて、それを見て衝撃を受けました。映画のセットいうのはこんなにすごいものなのかと。
そして、約10年後の2003年に同じタランティーノ監督の「キル・ビルVol.1」が公開され、劇場に観に行ったときのこと。オープニングのクレジットにプロダクション・デザイナーとして「Yohei Taneda」と日本人名があって、驚きました。
「日本人の方が、ハリウッドの第一線の監督の作品で美術を担当している!」と。スポーツで言えば、日本人選手がメジャーリーグのヤンキースで活躍するような感じですよね。
さらに数年後、タランティーノ監督の「ヘイトフル・エイト」で、種田さんがHaberdashery(男性服飾店)のセットをデザインしていたのですが、われわれも似たような業種なので、ものすごく勉強しながら観たのは覚えています。
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