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言葉②「僕はニッチの王様になりたかった」



 Q:8歳の頃に陸上を始め、中学3年の時に100メートルの全国大会で優勝されたそうですが、400メートルハードルという競技を選択したのは、どういった経緯だったのですか?

高校の時は怪我もあってちょっと伸び悩んで、このままだとちょっと厳しいなと思いながら、3年生の時にオーストラリアで行われた世界ジュニアという大会に出たんです。そこで400mで4番になったんですけど、1番とすごい距離があって。

その時偶然見ていたのが400mハードルで、シンプルな競技ではなくこういう複雑系に行かないと勝てないんじゃないかと思って、その時から400mハードルに気持ちが向いていった感じです。

Q:100mへのこだわりや未練はなかったのですか?

100メートルで9秒台を自分が出せるとは、正直当時思えなかったんです。10秒そこそことかは出るかもしれないと思ったんですけど、それは他にもできそうな日本人の選手がたくさんいたんですね。それなら、ニッチでもいいから何かで世界一に日本人がなった方がびっくりするんじゃないかと。

Q:「勝てる領域で勝負する」という判断をする上でどんな気づきが必要だったと思いますか?

今振り返ると、まず1つはみんなが歩いているところから外れる気分、そういう怖さはあった気がします。続けてきたことを辞めるっていうのは結構怖いものですし、辞めたらどうなっちゃうんだろうって不安もあった気がします。

「唯一無二」はニッチにあると思うんですね。「ニッチの唯一無二ですか? それともワンオブゼムですか?」という問いに対して、僕はその時に、「ニッチの王様になるんだ」と思いました。それは僕のアイデンティティーにやっぱり染み付いてますね。



Q:01年の世界選手権で、それまで日本人が誰も成し遂げられなかったスプリント種目でのメダル獲得という快挙を成し遂げました。

嬉しかったですし、今までに誰もやったことないわけですから「こういうのがやりたかったんだよ」っていう気持ちですね。ただ、僕の限界はそのときに、「さぁ、次は世界一だ」って瞬間的に思えなかったところなんです。

メダルを獲ってちょっと落ち着いて、しばらくして冷静になってから世界一を目指した感じで。それだから、競技人生が世界一に間に合わなかったのかなと思いますね。

Q:為末さんは、何があったから目の前の壁に挑み、結果を出し続けられたと思いますか?

ラーニングだと思いますね。とにかく学習が好きだったので、元々の身体能力を上回った結果が出せたんだと思っています。

毎年やり方を変えたり、練習方法も違うし、拠点も違ったりチームを変えたりって、外から見るとすごく落ち着きがないタイプだったと思うんですが、結果としていろんなパターンのエラーが出る、複数のエラーが出ることで、より抽象的な学びに繋がりやすい面があったのかなと思いますね。




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