当記事は「FUTURE IS NOW」の提供記事です。元記事はこちら。 今月のテーマは、「食べる」。世界各国の食文化を取り入れ、多様な食を楽しむようになった今、日本ならではの食文化・日本茶について考えます。
今回訪れるのは、東京・蔵前の日本茶専門店〈a drop . kuramae(ア・ドロップ蔵前)〉。
全国のお茶農家を巡ることをライフワークとしている店主の田邊 暸さんに、日本茶愛に目覚めたきっかけや、その魅力を発信する理由、そして日本茶文化の行方を伺います。
日本茶をおいしく淹れるよりも、相手の心を汲み取ることが大切。
東京・蔵前のレトロビルの一室に入居する〈a drop . kuramae〉。店主の田邊さんが全国のお茶農家を巡り選び抜いた茶葉を販売するほか、日本茶の飲み比べ体験も行っています。
バックパッカーや役者などを経て、田邊さんが日本茶の魅力に目覚めたのは、今から6年前の2016年。渋谷のど真ん中で屋台を営んでいたときの、日本茶好きのお客さんがきっかけとなります。
「屋台を閉店しなきゃいけなくなってしまって、そのお客さんに声をかけてもらい、都内に新たにオープンする日本茶専門店でたまたま働くことになったんです。
当時、日本茶なんてちゃんと淹れたこともなくて全くの未知の世界。いざ携わってみるとかなり難しくて。だけど、その難しさが自分にとっては心地よく、とても楽しかったんですよね」
田邊さんのいう難しさとは、日本茶を淹れる作法や技術ではなく、お茶を通して相手の心を汲み取るという、茶人としてのあり方のこと。
「僕を指導してくれた師匠には、『もっと詩を読め』『いっぱい恋愛をしろ』とよく言われていました。日本茶の淹れ方を教えてくれるわけでもないし、教則本を読んで勉強しているそぶりを見せると怒られるし、最初は本当に訳がわからなくて(笑)。
だけど、僕らお茶を淹れる側に大切なのは、相手の表情や心の動きを汲み取り、新たな気づきを届けることだと次第に理解し始めたんです。
だって、おいしいお茶を淹れるのが簡単なのに対して、それができるようになるには相当の人間力が必要だから。
これはとても難しいことだけど、僕がそういう茶人になれたら、自分が淹れた日本茶でお客さんの感情の矢印をいい方向に導くきっかけになるかもしれない。本来、お茶はおいしいだけじゃない、そういう力を秘めているものなので」
おいしい日本茶を淹れるのは簡単。田邊さんがこう話すのには、この日本茶専門店が開店する前、佐賀へ修行に向かう道すがら、とある県で出会ったお茶農家の茶葉で淹れた1杯が大きく関わっています。
「茶畑で作業するおばあちゃんを見つけて声をかけてみると、僕ら若者が来たことが珍しくてうれしかったんでしょうね。『若い子にお茶なんてわからないでしょう』なんて言いながら、畑を見せてくれたり、茶葉を持たせてくれたりして。
僕もうれしくなって『東京にお店を作って、日本茶業界を盛り上げるから』と意気込むと、『今だったら間に合うのに』とぽつりと言うんです。『家のお茶工場もからだもまだ動く。でも跡を継ぐ人がいない』と。
当時すでに産地は高齢化が進んでいて、跡継ぎがいない状態だったんですよね。それを聞いてまたやる気がみなぎってきたんですが、師匠がその茶葉で初めて僕に日本茶を淹れてくれて、最後にこう投げかけたんです。『おばあちゃんは本当にこのお茶が作りたかったと思うか?』と。
その言葉の真意がわからなかったけど、飲んでみたらすごく渋かった。なぜかと言うと、実際、現場では製造不良が起きていたからなんです。
日本茶はフレッシュに作ることがよしとされているんですが、おばあちゃんは高齢ということもあって作業速度も判断能力も落ちていて、よいお茶が作れなくなっていた。
きっと師匠は技術でおいしくこのお茶を淹れることができたけど、僕が舞い上がって現実が何も見えてなかったから、あえて渋みを強調してお茶を淹れてくれたんです。
僕はこうして、おいしいとかそういう味わい以上のもの、ものごとの捉え方や人間としてのあり方などを師匠から教わった気がします」
日本茶文化を明るく照らすため、作り手の思いまで届けていく。
味わいだけでない、日本茶の奥深さにますます惹かれた田邊さんは、1年ほど経つころ東京の日本茶専門店を退職。アメリカ・ニューヨークに渡り、日本茶のメニュー開発を手がけるうちに、ある思いを抱くように。
「商材用の茶葉を持っていかなかった自分が悪いんですが、ニューヨークでは日本の茶葉がなかなか手に入らない。
お茶を淹れて人を楽しませたいのにそれができないという、大失態をおかしてしまったんです。
情けなくてつらかったのですが、僕はこの失敗から『自分の手元に自然とお茶が集まってくるような人間にならないといけない』、そう強く思いました」
300カ所で作られているといわれている日本茶。そのすべてを入手するのは難しいけど、なるべく多くのお茶農家と出会うため、田邊さんは帰国後の2018年、建築現場のアルバイトで貯めたお金をもとに産地を巡り始めます。
「5万円で買った軽トラを走らせ、荷台に寝泊まりしながら産地を回ることにしたんです。1軒目に訪ねたのは、もともと好きだった釜炒り茶を作っている静岡県の〈鈴木茶苑〉。
ここの2代目・鈴木健二さんとの出会いがなければ、今の僕のスタイルはなかったと言ってもいいくらい素晴らしくて。ビジネスとして農業をする人が多いなか、鈴木さんはお茶愛にあふれている人なんです。
いろいろなタイプのお茶農家を紹介してくれて、そこから数珠繋ぎのように旅を続けていきましたが、そこで改めて直面したのは、お茶農家が抱える絶望感でした。
日本の文化として下火になっていて、日常的に飲んでいる家も少なくなっているから、いくら頑張ってお茶を作っても売れない。いつまで経っても変わらない、変えられない状況にみなさん失望しているように感じました。
僕が『日本茶の業界を盛り上げたい、変えたい』と話しても、『そうやって期待させるけど、何ができるの?』とため息をつかれたりもして。
そういうことからも、今お茶農家に必要なのは、お金というよりモチベーションなんじゃないかと思いました。期待は裏切られると一気に失望に変わってしまうけれど、僕はそれでも諦めたくなかったんです。
日本茶に携わる者として自身でも日本茶を楽しみ、それを他の人にもしっかりと伝えていく。日本茶には魅力があって、未来が明るいことを作り手にも伝え続けることで、『日本茶は変わるかもしれない』という希望の光を灯したい。
そういう小さな火種があるだけでも、明日もがんばろう、これからも日本茶を作っていこうと思ってもらえるんじゃないかって」
日本茶と飲み手の距離を近づけて、「常茶」として愛されるように。
日本茶の楽しさを本気で飲み手に伝えることを決意した田邊さんは、2020年10月にいよいよ〈a drop . kuramae〉をオープンさせます。
産地巡りの旅で出会った茶葉の販売をするほか、日本茶の飲み比べ体験を提供するのは、自身が作り手と飲み手の架け橋になるため。
「畑づくりやお茶の栽培の話をしても、きっと遠い世界の話に聞こえちゃう。だから僕は、自分で見た茶畑の光景とか、お茶農家と話したことなんかをお客さんと話すようにしていて。
こうして身近に感じてもらって、さらに日本茶と日常の距離を近づけていきたいんです」
2018年ごろ、専門店やスタンドが相次いでオープンしたものの、日常のものとしてなかなか根付きにくい日本茶。そんな現状があるなか、田邊さんは日本茶の変換期はもうすぐそこまできていると言います。
「お茶を淹れるプレイヤーや日本茶に触れる機会がもっと増えたら、停滞しているその状況を変えられると思っています。
最近は日本茶の捉えられ方が確実に変わってきていると感じていて。というのも、僕が日本茶に出会った頃とは違って、今日本茶の仕事をしていると人に話しても驚かれなくなったし、若い世代のお客さんも増えてきた。
それに日本茶業界全体がチャレンジできる環境に変わってきたような気もします。お茶農家自身がSNSを使って日本茶の魅力を発信するようになってきたからか、業界全体に寛容さが漂っているというか。
その雰囲気は飲み手にも感じていて、日本茶のスタンドの出現によって淹れ方や飲み方もカジュアルになったからか、日本茶文化がすっと受け入れてもらえているように感じます」
現在、日本茶文化が再び見直され、受け入れられ始めているという田邊さん。これからの日本茶は「普通のもの」として、さらに日常に溶け込んでいくと話します。
「さっきお話しした鈴木さんが自分が作りたいお茶とは何かと考え抜いた末、たどり着いたのが『普通の日本茶』だったそうです。
通常なら、これまで培った技術を打ち込んで、最高品質のお茶を作りたいと考えるだろうから、これは作り手としてなかなか言えないことだと思うんです。
それに呼応するかのごとく、実は僕の最近のブームも『普通』なんです。1年前は氷でお茶を抽出したり、水出しをしたりもしましたが、今は1周まわって淹れ方も飲み方も普通が好きで。
作り手と届ける側の僕たちに原点回帰的なことが起こっているので、これから先、日本茶はもっと生活に密着して、日常的に飲まれる『常茶』という存在になっていくんじゃないかって思ってます」
常茶となる未来を願い、田邊さんは地元・埼玉飯能に借りた茶畑を使って、日本茶と飲み手の接点を増やし、もっと近しい存在にしていくそう。
「来年からお茶摘みツアーを始めようと目論んでいます。日本茶は職人が作るものという、少し高尚なイメージをもたれることが多いんですが、かつての日本には、釜炒り茶という自宅の釜で炒った茶葉を日常的に親しむ文化もあったんです。
こうした日本茶文化に倣い、今後も飲み手との距離を近づけながら、日常的に日本茶を楽しむことを提案していきたいです」