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サーフィンが背中を押したラジオDJへの道

波とともにあった青春の日々は帰国と同時に終焉を迎えることになる。26歳になっていたこともあり、そろそろ腰を落ち着かせたらどうかと、飲食業を営む兄から共同経営に誘われた。うれしい申し出ではあった。ただ、捨てられない思いがあった。それがラジオDJという職業だ。

職業にしたいと思った最初の衝動はラジオのデジタル化がきっかけだった。それは中学生の頃の出来事で、耳に届く音声の質がガラリと変わったことに大きな感銘を受け、スピーカーの向こう側で話す人への関心を抱くことになったのだ。

もうひとつの決め手が、1980年代から毎年のように日本で開催されていたプロサーフィンの国際大会が、ある年に地上波の深夜枠で放送されたことだった。その放送では千葉の海を舞台に世界のトップサーファーたちが華麗なライディングを見せ、その模様をよく聴くラジオのナビゲーターが伝えていたのだ。

「それはクリス・ペプラーさんです。トーンが低くスイートな語り口調は耳に心地良く響きましたし、シンプルな言葉で伝えていたところも特徴的でした。

クリスさんが発するフレーズにもいくつか印象深いものがあって、たとえば豪州出身のシェーン・パウエルが負けたときに『シェーン、波のリズムに合わず惜しくも敗退』と言ったのですが、そのフレーズはサーフィン大会の実況仕事の際に使わせてもらっています(笑)」。

大好きなサーフィンとラジオがクロスする稀少な番組を観てからというもの、ラジオDJへの思いを温めていたnicoさん。

既にサーフィンへの熱い思いは“遊学”で満たしたこともあり、次は残された夢をかなえるためJ−WAVEの一般公募オーディションに挑戦。すると、しゃべりのノウハウを学んだことのない未経験者ながらファイナリストに。

合格とはならなかったが、人生初のオーディションで最終審査に残ったこと自体に希望を見いだし、ほかのアプローチを模索していった。

そして事務所に所属し、半年後にはJ−WAVEでデビュー。バンジージャンプを飛んだり、サソリを口に入れるといった元気印の若手レポーターの任を経て、もう5年以上、朝の顔のひとりとして爽やかな話題をリスナーに提供し続けている。

nicoさんらしいのは、大都会から発信されるものながら、携わってきた番組のほぼすべてで海感が漂っていることだろう。先述した現在のレギュラー番組にはバーチャルトリップというコーナーがあり、先日はインド洋上に浮かぶレユニオン島を紹介していたように。

そして今春からは局のブースを飛び出しビーチというリアルな場へ進出。リスナーや初めて出会う人と一緒にビーチを清掃にしながら、海の魅力を伝えていこうとしている。

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Y’s Air=写真 小山内 隆=編集・文

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