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サーフィンが好きすぎて20代は波乗り遊学へ

ラジオDJ nicoさん●1976年、東京都生まれ。FMラジオ局のJ−WAVEで番組「MORNING VOYAGE」(土・日曜の5:00から)のナビゲーターを務め、ABEMAをはじめとして国内外のサーフィンコンテストの実況を担当するなど多方面で活躍。またラジオDJが増えてほしいことから、志す人には「SNSからDMをください」とのメッセージ。

ラジオDJ nicoさん●1976年、東京都生まれ。FMラジオ局のJ−WAVEで番組「MORNING VOYAGE」(土・日曜の5:00から)のナビゲーターを務め、ABEMAをはじめとして国内外のサーフィンコンテストの実況を担当するなど多方面で活躍。またラジオDJが増えてほしいことから、志す人には「SNSからDMをください」とのメッセージ。


今後も2カ月に1回のペースで行っていきたい。東京・六本木にステーションのあるJ−WAVEでレギュラー番組を持つラジオDJ がそう考えるのは自身がサーファーであるためだ。

nicoさんは東京・中野の出身。高校時代にサーフィンを始め、好きが高じて20代前半を豪州シドニーと米国サンディエゴに“波乗り遊学”することで過ごした。

ワーキングホリデーを利用して向かった豪州では、コーストラインに沿って国を一周するロードトリップも経験。“いい波に乗りたい”“まだ見ぬ光景に出会いたい”といったシンプルな思いから出発し、3カ月をかけて1万5000㎞を走破した。

米国へは学生ビザを取得して。働きに働いて貯めた軍資金を手に海を渡り、ラグジュアリーなビーチリゾートで知られるラホヤをベースに、日中は学校、それ以外の時間はサーフィンという日々を過ごした。

「海外に行ったのは“サーフィンをきちんとやりたい”と思ったからです。英語も覚えられるかなと思いつつ、でもそれは二の次で(笑)。

豪州には身寄りもなくひとりで向かったんですが、今思えば“とにかくサーフィンがしたい”という情熱があったから行けたんでしょうね。

長期間に及ぶ気ままなロードトリップも、目先のことを優先できる年頃だからこそ実行できたこと。今はもうそんな時間を持てませんし、とても貴重な時間を過ごせました」。

本場のサーフカルチャーに触れられたのもいい経験だった。当時の日本はショートボード全盛、コンペティション全盛という時代。nicoさんもショートボーダーだった。

しかし海の向こうにはロングボードの文化があり、日中に時間をつくり出した主婦や、夕方に仕事を終えた会社員がパドルアウトをするといった光景が日常的にあった。

そんなサーフィンが社会に根付いていることを感じさせる光景に出会うたび、視野が広がっていくことを実感していた。


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