デザイナーの吉屋充さんは江戸川区の出身。東京っ子らしい快活な話しぶりが印象的だ。
▶︎すべての画像を見る 「もの作りに従事するデザイナーでありながら、日本がもの作りの国だと知らなかったんです」。
かつて大手アパレル企業に在籍し、あるブランドのデザイナーを務めていた吉屋充さん。そのキャリアは実に19年に及ぶ。
それほどの人物がなぜ、多くのアパレル向け素材が日本で作られていると知らなかったのか。そしてなぜサステナブルなブランド「タンジェネット」の立ち上げに至ったのか。詳しく伺った。
海外の有名メゾンが注目してきた日本製素材のクオリティ
「アパレルの服作りというのは、ある意味とてもシステマチック。生地メーカーや繊維商社が素材から製品までパッケージで提案してくれます。
たとえ素材の素性を知らなくても、まとまったコレクションルックが作れてしまうんですよ」。
いわゆるOEM(他社製品製造)である。もちろんOEMは決して“悪者”ではない。クリエイティビティに応える多くの選択肢と熟練の技術が、確かにこのシステムのもとで培われてきた。アパレル産業の成長を支えてきた柱の一部であることは間違いない。
そんな環境のなか、ふとしたきっかけで「海外の多くのメゾンが優れた日本製素材を使っている」ことを知る。和歌山のジャージーや広島のデニム。当時20代の終わりに差しかかっていた吉屋さんはすぐに動いた。
「会社に“素材の産地を巡りたい”と申し出ました。きちんとしたもの作りをする工場に赴くことは、(当時携わっていた)ブランドにとって、そして自分にとって必ずプラスになると思ったんです」。
20代後半から30代の終わりまで十数年。会社に所属するデザイナーとして文字どおり日本全国の工場を訪れ、職人に出会い、現場で熟練の技術を目の当たりにした。
そうして自分の目で見ることで、海外メゾンが日本の素材を使いたがる理由がわかったという。それは圧倒的な品質の高さ。と同時に、「これほど優秀なもの作りの技術が、なぜ日本国内であまり注目されないのか」と不思議でならなかったそうだ。
「40代を迎え、よりパーソナルな部分を反映した服を作りたいと考えるようになりました。そしてその服を通じて、日本の技術を発信したいと」。
そうしてコロナ禍の2020年を準備期間とし、’21年秋冬シーズンのコレクションにて、タンジェネットはスタートを切ったのである。
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