「37.5歳の人生スナップ」とは…… >前編は
こちら坂尾さんが農家になるのを拒み続けた理由は「単純作業の繰り返しで楽しそうじゃないから」。東京に行ったのもDJになったのも、銚子に戻ってイベントを主催し、輸入・販売業を続けたのも「面白くて楽しい」が原動力。
やりがいのある農業にしようと奮起する坂尾さんに立ちはだかるのは旧態依然の日本の農業。そして世襲農家ゆえの親との確執。今や農業界のチェ・ゲバラとも呼ばれる坂尾さんはそれらに真っ向から立ち向かった。
いよいよ始まったアフロ農家の農業改革
「農家っていう仕事に魅力を感じたことはなかったですが、うちの野菜は確かにおいしいなとは思ってたんですよ。坂尾家は代々、鶏糞を発酵させた肥料を使っていることも理由だと思いますが、キャベツもとうもろこしも格別に甘いんです」。
農家のハウツーひとつで野菜の味は変わる。これこそがオリジナルだということに気づいた坂尾さんは、レコードや洋服の輸入・販売を辞めて一念発起。
農業に本腰を入れ、それまでの職歴で培ってきたスキルをフルに発揮し始めた。
銚子の潮風によって甘みが強くなるアフロキャベツ。
「うちのキャベツを成分分析に出したら、国が公表している『食品成分データベース』の数字より2.5倍のカルシウムやミネラルを含んでいることもわかったんです」。
海に面している銚子は潮風に豊富な栄養が含まれ、それが野菜を格別甘いものにしている。早速、キャベツを「アフロきゃべつ」として商標登録し、畑は「へねりーふぁーむ」と名付けて独自のブランディングを展開。農協(農業共同組合)に卸すという既存の流通システムにも逆らった。
「結局、農業を楽しくするには、既存のやり方のままじゃだめなんです。例えば、ほとんどの農家は農協(農業協同組合)に出荷してます。規格さえあっていれば野菜を全部買い取ってくれるので、代金回収も確実。それが日本でずっと続いてきた流通システムですが、なんせ単価が安い。キャベツならひと玉100円にもなりません。
結局、薄利多売なんですよ農家も。稼ぐためには量産するしかなくて、量産するためには畑を規模化するしかありません。規模化すれば人手不足に陥るし、重労働だから担い手がいなくなる。農協に頼らない、大量生産をしなくていいシステムが必要なんです」。
坂尾さんは思い切って農協に卸すのを辞め、自ら開拓した販路で野菜を販売することに。駅前にオリジナルで無人直売所を設置したり、顧客に直接降ろしたり、インターネットで農協の3倍の価値になる、ひと玉300円で売ることも成功した。
廃棄ロス削減に6次産業化、民泊やレストランもオープン
250坪の敷地にある民泊farm&stay「YAOYA」。近くには納屋をリノベしたレストラン「808 + DELI」もある
東京ドーム1個分の畑を運営する坂尾家だが、それも継承者がいない畑を引き取り続けた結果。それだけ、代々続いた家業に終止符を打つ農家が少なくない。
「農家は重労働で大変なんで、子供に継がせたくないっていう親も少なくないんです。農家の人口減少を解消するには、農業を楽しいものに変えて、農家を継ぎたい、農家になりたいという人を増やすしかない。地道な取り組みですが、あれだけ農家になりたくなかった僕だからこそ、伝えられることがあると思うので」。
そんな坂尾さんの取り組みは畑だけに留まらない。2年前には築90年の古民家を購入し、農業体験に来た人が農泊できる施設へと蘇らせた。市と連携した銚子アグリツーリズム推進協会では会長を務めている。
さらに地元の食材や、規格外の野菜を提供する土日限定のレストランもオープンし、廃棄の運命にある規格外の野菜を加工する6次産業化にも取り組んでいる。
銚子電鉄や地元事業者と連携することで銚子への観光客も増え、へねりーふぁーむには研修や体験の受け入れなどで年間500人が訪れるようになった。
賛同者を集めクラファン成功
さらに坂尾さんは昨年10月にクラウドファンディングで寄付を募り、400万円以上の資金を得た。農業を中心としたコミュニティ作りと「産地ロス・廃棄野菜」をなくす取り組みを加速させるためだ。
「約15棟ある戸建てアパートをワーケーションや研修で利用できる宿泊施設に改築します。規格外で廃棄処分になる野菜を惣菜に加工できる施設も増設する予定です。とにかく日本の農業のイメージを変えたいんです」。
廃棄される野菜をなくすため、数年かけて施設や機械を導入し、出荷できない野菜は加工品にして販売。
奮闘し続けるアフロ農家の姿に世間が注目し、坂尾さんの農業革命は成功の道を辿りつつある。が一方で、坂尾さんのやり方を認めない存在がいる。
ほかでもない、長男に農家を継いでほしいと願っていた坂尾さんの両親で、今でも年に数回、坂尾さんと父親の間でガチンコ対決が絶えないのだという。
世襲農家がゆえの確執と苦悩
「両親はいまだに僕がやっていることが理解不能みたいです(笑)。今年も元旦から大喧嘩ですよ。『家から出ていけ』って怒鳴られました。農協の流通に乗せないやり方もメディアに露出するのも全部NG。30年以上やってきた農業を変えてほしくないみたいです。
親戚一同が集まる席でも、30対1で僕が悪者という状況です。でも、このままでは日本の農業に未来はないんで、本音で話してぶつかって行くしかないと思ってます」。
農家の事業継承がうまくいっていない原因に、世代間の「コミュニケーション」問題がある。農協が「事業承継ブック―親子間の話し合いのきっかけに―」を公開しているほどだ。
つまり、坂尾家が抱える問題は日本農業全体の問題で、そこに風穴を空けようとしている坂尾さんの取り組みが成功すれば、日本農業を救う一助になる可能性がある。
「農家って引退する年齢が決まってないんですよ。言ってしまえば生涯現役。だから、次の世代がなかなかやりたいことができない。
それで悩んでいる農家の長男は全国にいると思います。だから12代続いている農家の長男がこんなアフロで闘ってますよって、そういう姿を見せたいっていう思いもあって」。
ジャパンチャレンジアワードでのグランプリを銚子市長に報告する坂尾さん
事実、メディアを通して坂尾さんの姿を見た全国の長男から、「僕も農家の長男です。坂尾さんを応援します!」「僕は家業を継がなかったですが、気持ちすごいわかります!」といったメッセージが届くようになったという。
職業ランキングで上位に入るのが10年後の夢
坂尾さんは、自身の子供に農家を継いでほしいと思っているのだろうか。
聞いてみると、「選択肢には入れてほしいですね。10年後にはYouTuberと肩を並べて『なりたい職業ランキング』には入ってほしいと思っています。そうなれば、日本の農業もきっと変わってますよね」との回答。そのためにも、これからも農業改革に奮闘していくという。
「農業改革するって言っちゃったんで。クラウドファンディングで集めた330人分の思いも背負ってますし。がんばりますよ」。
まずは、坂尾さんと両親の確執が解けることを心から願うばかりだが、取材後、ある一枚の写真が届いた。
これはもう、雪解け間近かもしれない……。
へねりーふぁーむのドレスコードのかつらをかぶる2人。農業体験に来る参加者に乗せられこんな写真を取ることも
坂尾英彦(さかおひでひこ)●1982年千葉県銚子市出身。12代続く農家の長男として誕生するも、農家になることを拒否。18歳でヒップホップDJを目指し、上京。20歳で銚子に戻り、レコードや洋服の輸入・販売を始めるも、30歳で大嫌いだった農家に転身する。現在は「Hennery Farm(へねりーふぁーむ)」代表を務め、“アフロ農家”としてメディアに引っ張りだこ。日本農業の未来のため、独自の「農業改革」に取り組んでいる。
「37.5歳の人生スナップ」とは……
もうすぐ人生の折り返し地点、自分なりに踠いて生き抜いてきた。しかし、このままでいいのかと立ち止まりたくなることもある。この連載は、ユニークなライフスタイルを選んだ、男たちを描くルポルタージュ。鬱屈した思いを抱えているなら、彼らの生活・考えを覗いてみてほしい。生き方のヒントが見つかるはずだ。
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