看板娘、登場
「よろしくお願いします」。
こちらは、特定非営利活動法人「ニューベリー(NEWVERY)」のスタッフ、菊池蓉子さん。東京北区で生まれ育ち、幼い頃はかなりの人見知りだったという。
兄と「ビーダマン」で遊んでいる写真が残っていた。
「乾電池を的にしてビー玉を当てているところですね。たいていは、兄のしもべ的なポジションだったので、私はビー玉をキャッチする役目だった気がします(笑)」。
蓉子さんは高校の頃から家のパソコンを独り占めして、自分でホームページを作っていたそうだ。社会に出たあとは、ウェブデザイナーとして働き始め、その後いくつかの会社を渡り歩き、さまざまな仕事を経験した。
しかし、実は蓉子さんはずっとマンガ家になりたかったのだ。絵は独学だが、この夢をあきらめきれず、仕事を業務委託に切り替えてマンガに集中する期間としてマンガの専門学校に入学した。
そうなると、気になるのは授業でどんな作品を描いていたのかということ。
「例えば、『運命屋』というタイトルの短編。人生をやり直したい男の選択を運命屋がアシストするという話です。人生崖っぷちの男が運命屋と名乗る中年男性と出会い、過去から現在までの人生を振り返らせ、やり直すべきか否かの選択を迫る……という『笑ゥせぇるすまん』的な話でした」。
これは……読みたいぞ。
だが、現実は甘くない。3つの出版社に短編を持ち込むが、ダメ出しの連続だった。
「出版社での連載の道はとにかく長くて険しいため、卒業前にマンガ家という肩書が欲しかったんです。当時はさまざまな手段を模索していました。そこで出会ったのが企業の注文にマンガを描く仕事です。いくつかの案件をこなしたのち、自由な連載もさせてもらえるようになり、大体1年半ほど続けました」。
在学中に決まった企業マンガ家としての仕事。
専門学校時代にはワッフル屋でアルバイトをしており、そこのバイト仲間とはプライベートでも仲良くなった。
2階建てのラッピングカーを貸し切って女子会をしたときの写真。
専門学校を卒業後は、再びウェブデザイナーとして働き始める。
美容系のメディアサイトを作っていた時代。
しかし、やはりあきらめきれない。蓉子さんは「マンガ業界に貢献できる仕事」という条件でエージェントに依頼。そこで、たまたま求人を出していのがニューベリーだったのだ。
「マンガ家を目指す若者を支援するシェアハウス、『トキワ荘プロジェクト』を運営している団体です。プロジェクト自体は2006年から始まっていましたが、たまたま2021年6月に東京都日野市に『多摩トキワソウ団地』をオープンすることになって、その統括を任されました」。
最寄りはJR中央線の豊田駅で、りえんと多摩平という団地の一部を間借りしている。
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