中谷宇吉郎は、当時のヒップスターだった
スキーをする中谷宇吉郎。©️Nakaya Ukichiro Foundation
ある意味、現代の雪山カルチャーのパイオニアでもある中谷宇吉郎だが、その知名度が功績と比例しないのは、きっと基礎研究に没頭した人だったからだ。
ファー付きのチェスターフィールド・コートにパイロットキャップ姿の中谷宇吉郎。©️Nakaya Ukichiro Foundation
「雪はなぜできるのか?」には、誰にでもわかる派手さはない。
だけど、その成果はもちろん、それをなし得た中谷は紛れもなく魅力的な人だった。事実、彼の周りにはさまざまな人が集まっていた。その面々の一部が以下。
師匠は寺田寅彦、大師匠は夏目漱石。
友達はノベール賞物理学者、湯川秀樹。
赴任していた北海道大学には文豪、志賀直哉が遊びにくるetc.
教科書レベルの名前ばかりが並ぶうえにジャンルレス。雪の科学館の資料によれば、みんな「何にでも詳しい中谷の話」を聞きに彼を訪ねてきたのだとか。
この“何にでも詳しい”というひと言が示すように、彼は研究者としてだけでなく、随筆も書けば、絵も描いて、陶芸も嗜んだ。しかも、洒落ていた。
師匠の寺田寅彦が亡くなったとき、愛用のニットタイを形見として引き継いだのも中谷だ。
今でもセンス抜群のニットタイは英国製。戦前にこれを着けていたって信じられる?
言ってしまえば中谷宇吉郎は、当時のカルチャーの中心にいたヒップスターだったのだ。もしも当時SNSがあったなら、きっとたくさんのフォロワーがいたに違いない。
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