いまや世界に轟くMIJ(MADE IN JAPAN)
「プーマはその初期より日本で造ってきました。本国の方針で生産拠点は絞り込まれましたが、グローバル認可を受けた工場には継続して生産をお願いしてきました。スネークの生産を委ねているのもその工場です」(野崎さん)。
斑の美しさは、革づくりから一気通貫の生産態勢を整えている工場だから可能となったものなのだ。
グラマラスなシルエットもまた、日本製のプライオリティ。木型の起伏を正確に再現したそのシルエットは釣り込みに手仕事を採り入れた賜物である。
「スリップストリーム ロウ VTG MIJ スネーク」はプーマが全幅の信頼を置く日本の工場でつくられている。
「スリップストリーム ロウ VTG MIJ スネーク」はMIJに属するモデルだ。MIJはかつては匠コレクションの名で展開していたMADE IN JAPANを謳うコレクション。日本の職人技の確かさを伝えんとするコレクションである。
継続は力なりを証明するような話だが、現在では本国でもなにかにつけてこの日本製を推す声が多くなっているという。
ウォルト・フレイジャーのシグネチャーモデル「プーマ クライド」。のちの「プーマ スウェード」だ。
20年ぶりにバスケットシーンに帰ってきた
フットボールをはじめとしたフィールドのスポーツでその名を知られたプーマがバスケットボール市場に参入したのは1960年代後半とのこと。アメリカというマーケットを考えたときに、バスケットボールは避けて通れないスポーツだったからだ。
プーマは「プーマ クライド」と「ラルフ・サンプソン」を引っさげてバスケットシーンの牙城にいともたやすく食い込んだ。種まきを終えたプーマが満を持してリリースしたのが「スリップストリーム」だった。
このままコートでの存在感を高めていくかに思えたプーマだったが、史実によれば1998年、プーマはバスケットボール界から身を引いている(完全撤退は2002シーズン)。ファッションヒストリーに詳しい人ならぴんときたかも知れないが、’98年はジル サンダーとのコラボレーションが始まった年だ。
そう、プーマはその年を境にファッション業界へと大きく舵を切ったのである。
2022年を生きる僕らなら、これがこよなく正しい選択だったことがわかる。ファッションデザイナーとのコラボに先鞭をつけたプーマはジル サンダー以降もミハラヤスヒロ、ニール・バレット、アレキサンダー・マックィーン、セルジオ・ロッシ、フィリップ・スタルク……と毎年のように気鋭のデザイナーとタッグを組み、従来のスポーツメーカーにないポジションを創造し、感性を研ぎ澄ましてきた。
そうして実に20年ぶりにプーマはバスケットシーンに舞い戻った。メジャーから攻める鉄板の戦略を採りつつ、ファッションという新たな武器を手に入れたプーマがそのダンクを外す未来はちょっと想像しにくい。
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