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2022.02.13

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五輪サーフィン初代の女王、カリッサ・ムーアが語る東京五輪とアロハの精神

当記事は「FLUX」の提供記事です。元記事はこちら



オリンピックでサーフィンを見たい。近代サーフィンの父であるデューク・カハナモクの夢がかなった大会で金メダルを獲得したのは、ネイティブハワイアンのカリッサ・ムーアさんだった。五輪のサーフィン女子で初めて金メダルを獲得した彼女が今、思うこと。

2021年7月、プロサーファーのカリッサ・ムーアさん(28歳)は、世界最高峰の透き通った波を持つ故郷のホノルルからほど遠い場所にいた。慣れ親しんだ海から4000マイル(約6430km)以上離れた千葉県で、米国代表として東京オリンピックに挑んでいたのだ。サーフィンが初めて公式種目となった大会である。

決勝の日、台風が接近中だった釣ヶ崎海岸では、空に黒い雲が立ちこめていて、波も荒れていた。ムーアさんは今でも、南アフリカのビアンカ・ベイテンダグさんとの決勝が始まったときに穏やかな気持ちではいられなかったことを思い出す。

そこにあったのは、決勝自体のプレッシャーだけではなかった。ネイティブハワイアンであるムーアさんは、地元の英雄デューク・カハナモクさんと同じ軌跡をたどっていたのだ。カハナモクさんはオリンピックの競泳で3個の金メダルを獲得した人物で、近代サーフィンの父でもある。プレッシャーの中、故郷全体の応援を受けたムーアさんは勝利した。オリンピックのサーフィンで初の女性金メダリストとなったのだ。

現在、ムーアさんはオアフ島に戻っている。ホノルルでカハナモクさんとムーアさんが並んだ高さ150フィート(約47.7メートル)もの壁画(アーティストのカメア・ハーダーさんが手掛けたもの)がお披露目された日に、ムーアさんはあの歴史的な1日を振り返るとともに、それ以降の出来事と「アロハ」の意味を語ってくれた。

カリッサ・ムーアさんとデューク・カハナモクさんの壁画。撮影:ジョン・フック

カリッサ・ムーアさんとデューク・カハナモクさんの壁画。撮影:ジョン・フック


カイリー・ヤマウチ(以下KY) まずは、オリンピックの金メダル獲得、本当におめでとうございます。

カリッサ・ムーア(以下CM) ありがとうございます!

KY 決勝を見返しましたが、海に入る直前になっても最高の笑顔でしたね。当日はどんな1日でしたか?

CM オリンピックはすべてが新鮮で未経験の世界でした。私自身は、勝負に勝ちたいという欲とすべてを出し尽くしたい思いがせめぎ合っていましたが、最後にはその両方を手放して演技自体を楽しめたと思います。

決勝の日は、台風のためひどいコンディションでした。波が激しくて制御できなかったのです。そこで、私は自然に委ねることにしました。すべてはなるようにしかならないのだと。全力を出そう、心を込めてサーフィンしよう、結果は後からわかるから――そう考えたのです。あのとき「今」を感じてすべての瞬間を楽しめたのは本当に幸せでした。

KY 気持ちの上で、ワールド・サーフ・リーグのチャンピオンシップツアー(以下CT)で戦っていたときと違いはありましたか?

CM これまでCTで戦った経験しかないので、[オリンピックが]どういうものになるのか想像できませんでした。違いを感じたところと言えば、大会運営の規模が大きかったのと、無観客だったことですね。一方、CTにはオリンピックにない豪華な特典があります。波が激しすぎるとき、水上バイクが牽引してくれることがあるんです。

KY 決勝の最初の20分は、あなたもビアンカさんもパドルアウトしているだけのように見えました。

CM (笑)あのときのことを思い出すだけで疲れ果てちゃいます。本当に疲れました!パドルアウトの前に、父と話したのを覚えています。父はこう言ってくれました。「思いどおりにいかないかもしれないけど、それでも進むんだ。そうすれば何とかなるから」。

ハワイのオアフ島出身のカリッサ・ムーアさんは、史上初めてオリンピックで金メダルを獲得した女性サーファーとなった。画像提供:レッドブル/スティーブン・リップマン

ハワイのオアフ島出身のカリッサ・ムーアさんは、史上初めてオリンピックで金メダルを獲得した女性サーファーとなった。画像提供:レッドブル/スティーブン・リップマン


KY 米国代表のキャロライン・マークスさんとジョン・フローレンスさんとコロヘ・アンディーノさんは、ツアーでも一緒に戦っていますね。チームとして一緒に国を代表した気持ちはいかがでしたか?

CM サーフィンはほぼ個人競技なので、チームとして仲間意識を持てたのはとても楽しかったです。普段、キャロラインは手強いライバルです。本当のところ、優勝するのはキャロラインだと思っていました。序盤は、彼女が生まれ育ったフロリダと同じく波が穏やかだったからなおさらです。あのときの私は、一番倒したいサーファーとまさに同じ宿舎に滞在していたというわけです。(笑)

KY 2010年からツアーに参戦して、すでに世界タイトルも5回獲得しました。競技経験も豊富で勝利にも慣れていると思いますが、オリンピックという名誉ある国際競技大会に出場するにあたって、心持ちや目標に何か変化はありましたか?

CM 確実に言えるのは、やり方をいつもと変えなかったことです。ひらめきもそこから生まれました。オリンピックがほかの大会と異なっていた点のひとつは波でした。[千葉の波は]穏やかで複雑さもありません。対戦相手のことは気にせず、ただ自分の演技をすることが何よりも大切でした。

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