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2019.07.19

ライフ

【前編】40代になって人生の意味を問う。タップダンサー・熊谷和徳の「選択」

連載「37.5歳から始める、タップダンス」
新しい趣味を提案する連載「オーシャンズとレジャー」。
今回は、華麗な足さばきから奏でる音で人々を魅了する「タップダンス」に注目し、世界的タップダンサー・熊谷和徳氏に教えを乞うことに。まずは、師となる熊谷氏がどのようにタップダンスと出会い、惹かれていったのか、その半生を聞いてみた。

5歳でタップダンスに出会い、19歳で単身渡米。ニューヨークの大学に通いながらタップの本場で技術を磨き、日本人で初めてブロードウェイ・ミュージカルにダンサーとして合格。2016年には、アメリカでダンスの最高峰と呼ばれる「BESSIE AWARD」の最優秀パフォーマー賞をアジア人として初めて受賞する。

タップ Photo by Makoto Ebi


タップダンサー・熊谷和徳は、現在42歳。華々しいキャリアだけを見れば“筋の通った”スター街道を歩み続ける恵まれた人生だ。彼は「毎年毎年が新たな壁にぶつかるチャレンジの連続」と悩ましい表情を隠さない。

タップダンスの求道者として第一線で活躍し続ける彼が、40代の今、何に迷うのか。その核心に迫る。

 

「始まりはマイケル・ジャクソンの『スリラー』でした」


1982年、世界に衝撃を与えたあのミュージックビデオ。僕らの世代であれば、マイケルのカリスマ性、そして衝撃の「ムーンウォーク」は今でも鮮烈な記憶として残っているはずだ。

タップダンサー・熊谷和徳の人生も、あのダンスから始まった。ただ、普通の子供と違ったのは、彼がマイケル・ジャクソンを単なる“流行りもの”として消費するのではなく、ルーツをたどってタップダンスに行き着いたということだ。

熊谷さん

「あの頃、マイケルのことをいろいろ調べたり、見聞きしたりするうちに、彼がタップダンス好きだということを知ったんです。それで、テレビで流れているアメリカのダンス映像の中で、サミー・デイヴィスJr.やフレッド・アステアなどの存在を知って、『すごい格好いい!』と思いました。タップダンス自体もそうだし、その背景にあるアメリカのカルチャーにも興味を持ちました。でも、当時はタップダンスを自分がやることになるとは思ってなかったですけどね」。

そして15歳のときに、熊谷はグレゴリー・ハインズの映画『Tap』を観た。『Tap』はギャングに手を染めたタップダンサーの更正の物語。タップダンスの歴史、ダンサーたちのソウルフルな躍動、そして天才タップダンサーであるグレゴリー・ハインズの圧巻のダンスと、全編を通じてタップダンスの魅力を堪能できる感動作品だ。熊谷は、この映画を観て小さい頃に抱いていたタップダンスの憧れを再燃させる。

熊谷の高校時代といえば、1991年の『ダンス甲子園』。そう、空前の高校生ダンスブームだ。周りがブレイクダンスや日本語ラップなど、当時流行のダンスをやるために仲間でチームを組んで練習したり、学園祭などで披露したりして青春を謳歌しているとき、熊谷の「選択」は、当時仙台にひとつだけあったタップダンス教室に通うことだった。



「タップが好きなことを周りの人にわかってほしいという気持ちはあまりなくて。例えるなら、バンド組まないで、ひとりでギターを黙々と弾くみたいなイメージですかね。タップなら、そういう風に周りに気を遣わずにできるかなと思って選んだ感じです。ひたすらひとりでやっていました」。



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