「その当時の僕の選択肢は、アメリカしかなかったんです」
そして熊谷は、19歳のときに渡米を決意する。しかしその「選択」は、順当に選んだ道というよりは、むしろ衝動的な想いからだった。
「高校生のときは、進路などにものすごく悩んでいる時期でした。学校にもあまり馴染めず、勉強にも興味が持てずうまくいかなかった。当時はタップダンスを職業にしていくという前例もなく、自分の進むべく方向に悩み行き詰まっていたんです。
学校などで薦められるのは、東京の大学に行って趣味でタップをやったほうが良いというアドバイスでしたが、そのときに全て自分の将来を決めてしまうことができなくて、まだ自分の見たことのない未知の世界を見てみたいという想いでアメリカ行きを親に相談しました。
子供の頃からアメリカへの憧れは強くあったので、タップを学ぶことはもちろんですが、アメリカの大学に進学するということもひとつの目的にして、NYに行くことを決めたんです」。
「流れされている」と感じる人生の違和感。一方で「これ」といった確信を得られない自分自身についてのわだかまり。そんなとき「問題の先送り」をして、まずは敷かれたレールを歩き続けるのも人生の選択だ。そこに抗ったからといって、正解も成功も約束されていないのだから。
ただ、そのときルートを外れたとする。その理由が単なる「逃げ」ではなく、「好きなこと」を信じる想いだとすれば、その先の未来がどうであれ、そのときの選択には決して後悔しないと思う。5歳の頃からタップダンスとアメリカに憧れ、その想いを19歳まで持ち続けた。それだけで十分「本気で好きなこと」と信じられる。ルートから外れてアメリカに飛び込む熊谷の選択は必然だったのかもしれない。
【後編】へ続く。
熊谷 和徳1977年、仙台市生まれ。タップダンサー。「
KAZ TAP STUDIO」主宰。19歳で渡米後、独自で活動。世界中のメディアにも度々取り上げられ、「日本のグレゴリー・ハインズ」と評される。米ダンスマガジンにおいて「世界で観るべきダンサー25人」に選ばれた。
[公演情報]日野皓正スーパーライブ2019
開催日:8月7日(水)
会場:Bunkamura オーチャードホールwww.min-on.or.jp/play/detail_172129_.html 島崎昭光=取材・文 小島マサヒロ=写真