「生きている以上、やりたいことをやるし、歌いたいときには歌う。死ぬまでは、いくらでも選ぶことができますから」。
当時33歳のラッパーを、突如、脳梗塞という病が襲った。病院への搬送が30分遅れていたら命を落としていた危険性もあったという。さらに合併症で左目も失明し、40歳になる頃には腎臓の数値も悪化。医師から「余命5年」を告げられた。
そのラッパーの名はダースレイダー(42歳)。東大中退のエリートとして知られ、人気番組「フリースタイルダンジョン」にも度々登場するこのアーティストは、まさに“死と隣り合わせ”の日々を過ごしている。しかし、その生き様は驚くほど前向きで、悲壮感などカケラも感じさせない。
「ジタバタしようが死ぬときは死ぬ。それは僕に限ったことではないですよね」。
不慮の事故も絶えないこの時代、確かにそれは事実だ。ただし頭ではわかっていても、それを切実に感じながら生きている健康体の人間などほとんどいない。ダースレイダーとは状況が違う。
こめかみに銃口を突きつけられたような状態にありながら、まるで何事もなかったかのように笑い、絶対に怯まず生きるダースレイダー。この男の強さの根源は何か。その笑みを支えていたのは、常に逆境を跳ね返そうとする“ヒップホップの精神”だった。
東大志望の秀才とヒップホップの出会いは予備校の自習室
彼がヒップホップと出会ったその日まで時計の針を巻き戻そう。当時、父親と同じ東京大学に入学するため、御茶ノ水の駿台予備校に通っていたダースレイダー少年。そこである日、不良予備校生の先輩がラジカセをかつぎ、自習室でラップをする姿を目撃した。
「僕はずっとロック好きで、’60sや’70sの音楽を軸にブルースやファンク、ソウルを聴いてきた人間でした。音楽は好きだったけど、楽器もやらないし、歌も歌わない。その不良予備校生も楽譜は読めないし、楽器も弾かない。なのに、音楽をやってたんですよね。その人を見て『これだ! ラップでなら僕も音楽ができる』と気付いたんです」。
以来、受験勉強と平行し、ひとりで歌詞を書いてはラップの練習をする日々が始まった。そして合格発表の日、晴れて東大生となったダースレイダーに転機が訪れる。
「東大の赤門で合格発表を見届けた夜、不良予備校生の先輩に誘われて、高円寺のクラブ『ドルフィン』でラップしたんです。僕の合格祝いってことで。人前でラップするのはその日が初めてでした。キングギドラやジブさん(Zeebra)たちのアナログを使って、サビを先輩が歌い、僕がラップする。もう、しびれましたよ(笑)。世の中にこんなに楽しいことがあるのか!って。人生にスイッチが入った瞬間でした」。
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