ワードローブに残るのは苦難を一緒に乗り越えたモノたち
時代の流れや若手の突き上げなど、世代交代が激しいヒップホップシーンで、いまだ第一線で活躍しているAK-69さんは珍しい部類に入る。
とはいえ、ここまでの道のりは決して平坦なものではなく、浮き沈みも激しかったとAK-69さんは振り返る。そこで出合ったスニーカーは、今もワードローブに残っているという。
「2010年くらいには、常にオリコンチャートの上位に顔を出してはいました。でも、どこか停滞感みたいなものも感じていたんです。怖いものなしの状態だったんですけど、逆にそれが怖くて。このままいくと、目標を喪失しそうだなと。
そこで、1年半だけ拠点をNYに移しました。今思えば、そこでの経験は大きかった。厳しい環境に身を置きながら、海外から見た日本を感じたかったし、自分の力がどれほどのものなのか客観的に感じたかった。
国内でふんぞり返っていたらとっくに終わっていたかもしれません。やっぱり、人はコンフォートゾーンでは成長できなくて、デンジャーゾーンに身を置いて初めて成長できる。それは常に意識していますね」。
自身が抱えていた葛藤や迷い、現状に対する不満、停滞感などを打破し、改めて自身の名声を確立。以降、2013年にはDVDがオリコンチャート1位にランクインし、2014年には自身初となる日本武道館のワンマンライブも開催した。
翌年には、MTV Video Music Awards JapanにてBEST HIPHOP ARTISTも受賞し、2016年には独立してマネジメント事務所を設立。そして、アメリカの伝説的レーベル「Def Jam Recordings」と契約を果たす。
「自分でドラマを産めなかったら、この仕事は成立しません。長い間、これだけ皆さんに活動が注目してもらえるのも、やはり浮き沈みや修羅場があったからこそ。自分の歌の歌詞に『悲劇に感謝』とありますが、まさに今はそんな心境ですね。悔しいことやしんどいことが、逆に自分の中ですごい燃料になっているなっていうのは今でも感じています。
スニーカーも、そういう時代に手にしたモデルは残っている。ただ、それを見たときに『あの頃はよかったな〜』なんて思うことは一度もないです。フラットに当時の心境や状況が脳裏に蘇ってくる。自分が歩んできた人生の証みたいなものですから、それは誇らしくもありますよね」。
AK-69さんは言う。
「スニーカーを履き続けていると、10年や15年、モノによっては20年経つことで、また熱い何かが蘇ってくる。それこそがスニーカーの偉大さであり、魅力なのかなと思いますよね」。
その意見、きっと共感できる大人は少なくないはずだ。