OCEANS

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5歳のときから、いつも素潜りで魚を捕まえにいく父についていくようになった。父は背中に彼女をおぶって崖を下り、お気に入りの素潜り場まで連れていく。それから娘をブギーボードに載せて海面に浮かべ、自分は海に潜って家族が食べる魚を捕る。

「私が毎回ブギーボードから降りて泳いじゃうから、そのうち、父はブギーボードを持っていかなくなりました」。しかし、家族が増えて年齢を重ねるにつれ、海ではなく店で食材を手に入れることが少しずつ増えていったという。彼女もその変化に気づかずにはいられなかった。

「寂しかったです。『朝食の卵の味が変なんだけど』って母に言ったら、お店で買ってきたものだと教えられました。だから7歳だった頃の私は、『お店で買った』っていう言葉は『人工のもの』『ニセモノ』という意味だと思っていました」。

食べ物を身近に感じる気持ちや、自分で手に入れる楽しさを懐かしく思っていた彼女は、マウイ高校卒業後の1998年にオアフ島へ引っ越して、調理専門学校カリナリー・インスティテュート・オブ・パシフィックに入った。しかし、もっぱらウェイトレスのアルバイトをして、暇さえあればアウトリガー・カヌーに乗りに行く生活だった。

ある日の午後、アルバイト先のスタッフが参加するバーベキューで、誰かが素潜りで捕ってきた魚を持ち込んだのを見て、彼女の心の中でスイッチが切り替わった。海の魅力に引き戻され、それからはダイビングとフィッシングに明け暮れる毎日を送った。



そんな彼女の天性の才能に気付いた人々がいた。USナショナル・スペアフィッシング・チャンピオンシップの優勝者、カレイ・フェルナンデスとウェイド・ハヤシだ。

ふたりの指導を受けて2005年から訓練を始め、2008年の大会で、彼女いわく「筋肉ムキムキで巨漢の男たち」ばかりの出場者の中で、見事に優勝を勝ち取った。しかし、熾烈な競争を繰り広げるスポーツに1年半ほど身を置くうち、違和感を抱くようになった。

「燃え尽きちゃったんです」と本人は語る。「優勝とかチャンピオンとか、そういう肩書を外した自分がわからなくなっていました。もうダイビングに行っても楽しいと感じられなかったほどです。それが何よりつらいことでした。あのときめきが恋しかった。どうしたら取り戻せるかもわかりませんでした」。

自信を失い、その重荷が耐えられなくなって、彼女はスピアフィッシングの競技から離れた。一時期はパラオで生活していたが、ハワイに戻ってからも競技生活は再開せず、それまでの自分にとっては捕まえる対象だった魚のことを違った目で見るようになった。

「地元の人たちがどんなふうに魚を食べ、どんなふうに天然資源を管理しているか、いろんな土地をめぐって学びました。文化にとって魚はどんな存在なのか。そのことに強い関心を持ったんです」。

現在の彼女は、責任ある食糧調達や健全な海洋の重要性を訴える活動を続けている。2015年7月のサン・セバスティアン映画祭で無事に公開された『ある島の物語』でも、その主張を打ち出した。

手付かずの自然の中でのダイビングと、ローカルカルチャーにじっくり接する様子を描いたショートフィルムは、今の彼女の取り組みの方向性を示すものだ。

「人は誰でも自分なりの能力があるんですよね」と、キミ・ワーナーは語る。「大事なのは、それを有意義に役立てる道を決めること。そして、持っている力を発揮する最善の方法を見つけることです」。

キミ・ワーナーの活動については、インスタグラム@kimi_swimmyでチェック。


This article is provided by “FLUX”. Click here for the original article.

ジェフ・ハウ=文 D・J・ストランツ&ジャスティン・トルコウスキ=写真 上原裕美子=翻訳

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