OCEANS

SHARE

人のつながりを大切にする花井祐介の仕事の流儀

喘息気味だったことから幼少期にはよく家で絵を描いていた花井さんが表舞台へ引き上げられたきっかけは1枚の看板だった。
「2005年、1回目のグリーンルームフェスティバルで、バイトをしていたロースカ(神奈川県・金沢文庫にあったレストラン「ザ・ロード・アンド・ザ・スカイ」)がフードブースを出すことになって、僕が看板を描いたんです。
そうしたらフェスの間に『これいいじゃん』と、既にメジャーな存在だったアーティストでサーファーのジェフ・カンハムたちが言ってくれて。以来、カリフォルニアでイベントが企画されると声をかけてくれるようになりました」。
そのひとつが’07年から翌年にかけて行われた「ザ・ハプニング」。アートや音楽などサーフカルチャーにフォーカスしたエキシビションで、ワールドツアーとしてシドニー、東京、パリ、ニューヨークなど世界の複数の都市で開催。ジャック・ジョンソンらが音を奏で、バリー・マッギーたちがアートを飾るなか、彼らに交じり花井さんも作品を展示した。
海外でのクライアントワークも増えていく。’12年、当時スノーボードブランドのバートンが手掛け、サーファーやスケーターも愛用していたシューズブランドのグラビスからコラボのコレクションをリリース。’16年にはヴァンズから全世界に向けてカプセルコレクションを発表した。
昨年にはサンフランシスコで出版されるアート&カルチャーマガジン「ジャクスタポズ」で特集が組まれるなど海外での存在感は増すばかり。その状況を理由のひとつに、さらに国内での人気も高まっている。特徴的なのは活動の場がサーフィンやカルチャーの垣根を越えていることだ。
国立科学博物館の植物展や愛知県の東山動物園に向けたグッズ、JR横浜駅構内の壁画、鎌倉のクラフトビールブルワリー、ヨロッコビールのラベル、リーバイスやフェンダーのプロジェクトにも参加し、事務用品を多く扱うアスクルのデリバリートラックは花井さんの作品を纏って毎日のように都内を走っている。
そしてこれらのクライアントワークは、いずれも“人つながり”で発生しているのだというから面白い。
「ヴァンズのプロジェクトはグラビスで出会ったスタッフがヴァンズに転職したことで生まれたし、アスクルはもともと葉山でパン店を営んでいた知り合いが同社のクリエイティブ職に就き、何か一緒にやろうと声をかけてくれました。
フェンダーも同様です。ラジオ局のインターFMで地元の先輩ジョージ・カックルさんの番組を担当していた人がフェンダーに行くことで生まれたもの。顔が見える、相手の考えていることがわかる。そこは仕事を選択する基準になっていますね。
自分を高めてくれる仕事と出会いたいし、その逆にサーフアートのような作品を求められると、僕の絵を見ていないのかなと思って前向きになりづらいんです」。
サーファーではあるが、それが作品に影響してはいないと自己分析する。むしろ“サーフアート”としてカテゴライズされることは自身の可能性を狭めると考え敬遠してきた。手掛けるのは絵。それ以上でも以下でもないというのである。
そうして絵描きとしての自分を高める仕事を求め、受けた依頼には真摯に向き合う。なぜなら絵には人を幸福にする力があると信じているから。
今も昔も創作のモチベーションは「絵に触れた人の心が少しでも動いてくれれば」といったもの。不安な日々を送る人も感動させる力が絵にはあると信じ、だから作画には謙虚に臨み、その姿勢に一緒に仕事をした人たちはまた惹きつけられる。


3/3

次の記事を読み込んでいます。