「腕時計と男の物語」とは……「コーヒーが入ったわよ」。昼下がり、リビングから妻の声が聞こえる。
テーブルには大ぶりのマグカップと陶器のコーヒーカップが仲良く並んでいた。まずマグカップを手にしたのは妻、僕はもうひとつのカップを。いつもと変わらぬ休日の光景だ。
以前、訊ねたことがある。せっかくふたりでコーヒーカップを揃えたのだから使えばいいのにと。
「いいのよ、マグカップは手入れも簡単だし、冷たいミルクやホットワインだって飲めるでしょ。なんたって便利なんだもの」。
合理的に物事を図れる妻に対して、どちらかというと僕は何かと拘泥してしまうタイプだ。
だからといって夫婦仲が悪いわけではない。たとえば旅行に行くにしても、妻が綿密なトリッププランを仕上げ、僕が現地での想定外の出会いや発見に導く。結束は固く、むしろ互いを補完し、いい方向に向かっている、と少なくとも僕は思っている。世の中には夫婦茶碗というのがあるけれど、こんな夫婦カップがあってもいいだろう。
そんな妻が最近どうやら僕の
「パイロット・ウォッチ・マーク XVIII ヘリテージ」を狙っているようだ。
戦後、IWCが英国空軍の飛行監視要員向けに開発した時計「マーク11」は、30年近く生産が続けられ、さらに1990年代半ばからシリーズとして継続した。その名機の系譜にあること、そしてダイヤルのデザインは、’30年代の名機、ドイツ・ユンカース社の 「Ju52」のコックピット計器に着想を得たことを妻にも話したことがある。
「うーん、細かいことはよくわからないけれど、今何時かひと目でわかるのはいいわね。それに見た目ほど重くはないし、このサイズなら私にも違和感なく着けられるかも」と目を輝かせていたのを覚えている。確かに、ブラウンのレザーストラップは、妻のグレーニットにも似合いそうだ。
ミリタリーという負のヘリテージから生まれたデザインではあるものの、研ぎ澄まされた武骨さには、道具本来の完成された存在感と、時代を超越した普遍性が漂う。その佇まいは、どんな蘊蓄よりも雄弁だ。
でも僕は知っている。妻がコーヒーカップを使わない本当の理由を。誤って縁を欠いてしまったからだ。それを言い出せない、不器用な合理主義もまったく彼女らしい。そんなふたりを、並んだふたつのカップが笑っている。
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