私たちがやらなければ誰がやる?
そのセバスチャンは、ブランド誕生のきっかけについてこう回想する。
「あれは2003年のこと。私と、共同創業者のフランソワ・ギラン・モリィヨンは、ともに25歳でした。私たちはあるファッションブランドの企業監査役として、中国の工場を訪れていました」。
整理整頓が行き届いた清潔な工場だった。一見したところ就労環境はたいへん良好である。しかしながら働くスタッフたちは顔色がとても悪く、みな疲れた様子だったという。
「私たちふたりは、疲れたスタッフの様子が気になって仕方がなかった。そこで工場内にある彼らの居住スペースを見せてほしいと、申し出ました」。
25㎡ほどの部屋にいくつかの5段ベッドが置かれ、32名のスタッフが折り重なるように寝泊まりをしていたという。そして部屋の床には穴が開いていた。それは彼らのシャワーとトイレであった。
我々には、ファッションの楽しさに助けられたり、救われてきた経験が一再ならずある。セバスチャンとフランソワだってきっとそうだ。ごく一部であると信じたいが、’03年の当時こんな状況が確かに存在していたというのが、現実である。
「私たちはそんな環境で作られた服を着ている。“何かが大きく間違っている”と感じました」。
パリに戻ったセバスチャンとフランソワは、予定していたIT関連の起業を取りやめた。何かモノ作りを始めよう。生産者と消費者が公平な関係を築けるような、今までの経済活動とは異なるモノ作りを。それが、スニーカーだったのである。
スニーカーを選んだ理由は単純だ。世界中でスニーカーがストリートを席巻した1990年代に青春を過ごしたから。そう、ふたりとも純粋にスニーカーが大好きだったのだ。ブレない哲学があり、作るモノが決まれば、あとは突き進むのみである。
「ファッション業界の経験は皆無でしたが、誰よりも情熱を持っていました。まずはスニーカーを文字どおり解体し、すべての原材料について検討。そしてスニーカーがどこの国で、どんなふうに生産されているかを調べました。今思えばこのときが、ヴェジャのスタートラインでした」。
議論を重ねたふたりは「ブラジルでスニーカーを作る」という結論に行き着く。そこには彼らが理想とするスニーカーの原材料があり、優れた労働環境を持つ工場があったからだ。
「アマゾンの森で、ゴムの木を伐採することなく樹液を採取し、生ゴムを生産していたんです。この生ゴムをスニーカーのパーツに使うことにより、無駄な森林伐採を減らしたいと考えました」。
続いてブラジル北東部の大西洋岸の地域で、オーガニックコットンの生産者たちと出会う。有機栽培よりもさらにエコな、農薬や肥料を使わない自然栽培のコットン。このコミュニティに数週間滞在して彼らの手法を学び、彼らからコットンを購入しようと決意した。
最初の取引では通常価格の2倍を提示。農家の人々はふたりを「クレイジーなフランス人」と呼んだ。
「スニーカー作りを通じて、地球の自然と関わる人々すべてに敬意を払いたかった。私たちがやらなければ誰がやる?失敗したらやり直せばいいじゃないかと。若さゆえの猛進ですね(笑)」。
迅速かつ綿密にブランドの土台を築き、’05年に初のコレクションを発表。パリのデパートやブティックはもとより、世界中のショップから多くの問い合わせがあったという。こうして最高のスタートを切ったヴェジャ。現在は世界50カ国で販売されるメジャーブランドへと成長を遂げている。
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