東京のストリートが生んだアーティスト、HAROSHI(ハロシ)。
スケートボードの廃材で生み出す作品は唯一無二。海外で人気に火が点き、ニューヨークを始め世界各地で個展を成功させてきた。現在は原宿のアートギャラリー「ナンヅカアンダーグラウンド」で個展を開催している。
作品に触れて実感するのは、「同じ時代に生まれ育った人なら、彼の作品に共感を覚えずにはいられない」ということだ。
今回の個展の開催に合わせ、東京・葛飾区に構えるHAROSHIさんのアトリエを訪問。膨大な量のスケボーが山積みになったその場所で、オーシャンズ世代を代表するアーティストの飾らない素顔を見た。
スケボーとの出合い、クラフトとの出合い
「中学のときに隣の学校の不良グループがよくスケボーを持っていたんですよ。『スイサイダル・テンデンシーズ』が流行っていた影響もあって、バンダナを目の上まで巻くような不良たちだったんですけど、そこで『スケボーって面白いのかな』って興味を持ったんです」。
地元・駒沢の、実に’90年代らしいストリートの一角で多感な時期を過ごしたHAROSHIさん。彼が中学2年生くらいからスケボーカルチャーにのめり込んでいったのも、今思えば自然な流れだった。
「スケボー仲間はみるみるうちに不良になっていくんですけど、僕は部活も真面目にやっていて、高校もスポーツ推薦で入ったんです。でも、スケボーで怪我しちゃって、入学式も松葉杖で。それで学校側から『学校を辞めるか、スケボーを辞めるか』と突きつけられ、部活を取りました」。
スケボーから離れ、部活に打ち込む日々を送っていたHAROSHIさんだが、次第に部活後は原宿に寄って街を散策する日々を送るようになる。
そんなある日、大切にしていたゴローズの財布を盗まれてしまう事件が発生。実はこれが後のアーティスト・HAROSHIを生むキッカケとなるのだが、このときはまだ知る由もない。
「2万円もする財布だったからすごくショックで、もう自分で作ることにしたんです。東急ハンズで革と糸を買って、自分で縫いました。でも、せっかく作ったのに、平和島のジュエリーショップの店長に見せたら『下手くそ! 俺が教えてやる!』って(笑)。で、素直に通って学ぶことになったんです」。
祖父の影響で、もともとモノづくりの素養があったHAROSHIさんは、そこで腕を磨き、友人の財布や手帳、ジュエリーを作ったり、原宿のショップに卸したりするようになる。
代々木公園のフリマでも出品していたそうなので、当時の彼に会っている人もいるかもしれない。
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