当記事は「FLUX」の提供記事です。元記事はこちら。ホノルルのチャイナタウンに、観光客もまばらで、通い慣れた人以外は訪れることもない場所がある。パウアヒ通りとマウナケア通りの交差点のすぐ近く、レイショップと漢方薬の販売店に挟まれた小さな店が「ウイング アイスクリーム」だ。
ほとんどの人が「ええっ! ここ、本当にアイスクリーム店なの?」とでも言いたそうな表情で店に入ってくるが、本当に驚くのはそのあとだ。
壁の黒板には独創的すぎるフレーバーのメニューが並んでいる。メニューを考案しているのは、店主でカウンターにも立つミラー・ウイング・ロイヤーさんだ。
レモングラス、ニンニク、ローズ、パンダン、菊、抹茶──どんな味なのか想像もできない材料の名が、黒板で存在感を示している。試食したくなるだろうが、先に断っておこう。試食は一切できない。
ロイヤーさんは、自分が全力を注いだ作品に、客が誠心誠意応える姿を見るのが好きなのだ。
ロイヤーさんが組み合わせるフレーバーには興味をかき立てられる。例えば、「プレッツ・デント」。一見、単にプレッツェルなどを混ぜたアイスのような名前だが、そうではない。この商品は、かつて「プレッツ・デント・ブッシュ」という名前だった。
2002年に当時のブッシュ大統領がプレッツェルを喉に詰まらせて、危うく命を落とすところだった(その場にいたのは、何もできない犬だけだった)出来事を記念したのである。そんな出来事を忘れてしまった常連客から熱烈な保守派だと勘違いされたため、結局「ブッシュ」は商品名から消えることになった。
このように、ウイングのメニューには独特なユーモアが溢れていて、店のもうひとつの特徴である「あたたかいノスタルジア」と引き立て合っている。時折、好みにぴったりのフレーバーと出会った客からこんな声が上がる。
「わあ、昔おばあちゃんが作ってくれたアイスクリームとまったく同じだ」。ノスタルジアを引き起こしているのは、ウバやココナッツ、ときには普通のバニラといった地元民のお気に入りフレーバーだ。
ロイヤーさんにとって、チャイナタウンでの開店は市場を絞り込んだ新規事業ではなく、単なる帰郷だった。チャイナタウンには移住者や新規参入の事業者も多いが、ロイヤーさんはこの地域で生まれ育った正真正銘の中国人だ。
店舗の場所は母親の手を借りて確保したし、開店当初はそっくりの兄弟も手伝ってくれた(創業は2013年)。店の冷凍庫には、リヒンのアイスケーキが常備されている。子供の頃、毎日50セントを出してチャイナタウンの街角で買っていたのと同じものだ。
「今ではすたれてしまって、どこでも売っていません。だから、ここで蘇らせたのです」とロイヤーさんは語る。アイスケーキの価格は当時から変えていない。
ロイヤーさんのこれまでの28年間を振り返ると、アイスクリーム店はあくまでも直近の仕事にすぎないことがわかる。パンクロックのコンサート会場、映画館の映写室、カンフー教室などさまざまな場所で働き、幅広い対象に情熱を注いできた。
20代前半に厨房で経験を積んだのち、故郷から遠く離れて、キューバ料理店「ソウル・デ・キューバ」のコネチカット州ニューヘイブン支店の経営を補佐する。
その後、「ブレーンプレーン」というワンマンバンドを立ち上げ、宇宙柄のレオタード姿で、マルチトラックレコーダーに自作のダブルネックギターをつないでひとりで演奏している。
「ジェリー・ピープル」や「ラブ・ゾンビ」のような独創的な世界を描いた歌詞が目を引くバンドだが、活動休止と再開を3回以上繰り返してきた。
2年ほど前から、ロイヤーさんは自身のさまざまな(ときには奇抜な)経験をアイスクリームという素晴らしい世界に活かしている。ありがたいことに、この仕事はしばらく続ける予定だという。火曜日から日曜日まで、鮮やかな赤いエプロンと蝶ネクタイを身に着けた「アイスクリームマン」が出迎えてくれる。
近隣の農場で収穫したり客が持ち込んだり山で摘み取ったりした果物や野菜やハーブから、いくらでも新しいフレーバーができるのだ。
店では1日中LPレコードが流れていて、夜遅くまで明かりがついている。通りからほんの数歩入れば、待っているのは自家製ワッフルコーンと快適な革製ソファだ。先入観を持たずに広い心で足を踏み入れてみよう。店を出るときには笑顔になっているはずだ。
ウイングアイスクリームの住所は、マウナケア通り1145。(入り口はパウアヒ通り側)。ロイヤーさんの最新情報を知りたい人は、インスタグラムで
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ジョナス・マオン=写真 トラヴィス・ハンコック=文 加藤今日子=翻訳
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