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オニツカタイガーストライプに頼らないデザインワーク

クラシックに範をとりつつ、今の時代にフィットするボリューミーなフォルム、面取りして光沢にコントラストをつけたプラスチックパーツ、そして要所を飾るとろけるようなスエード……仔細に観察してもデザインに破綻はない。一切が内製されていると聞いて驚いた。
「デザインチームは、現在のテクノロジーが先人の時代に存在していたらどんなモデルを作っただろうと妄想してデザインに落とし込んでいます。そういうアプローチをしようと思えばオニツカタイガーほど相応しいブランドはありません。
先ほども申し上げたようにこのブランドには膨大なヘリテージがストックされているからです。ヘリテージに囲まれてペンを走らせれば、おのずと答えは出てくる。現代的な味付けは文字どおり味付けにすぎません」(業界関係者)。
その自信が端的に表れているのがオニツカタイガーストライプをあえて排するデザインワークだ。オニツカタイガーはヘリテージへオマージュを捧げつつ、しかしヘリテージに頼らない、新たなブランド像を打ち立てようとしているのである。
付け加えるならば、サスティナビリティなスタンスも好感が持てる。好例は展開モデル数。モンスターピースには現時点で3型しか存在しない。それはひとえに妥協することなく作り込み、そしてリリースした以上はブランドの顔として育てていきたい、という思いで臨んでいるからである。
 

映画『キル・ビル』が起爆剤に

黎明期を牽引したオニツカタイガーに再び命が吹き込まれたのは2002年。「メキシコ 66」や「アルティメイト 81」「ニッポン 60」といったヘリテージをベースにしたモデルをラインナップし、呱呱の声をあげた。
この時機を得たタイミングには言葉もなかったけれど、翌’03年、映画『キル・ビル』で主演のユマ・サーマンが履いてたちまちブレイクした。
「転機は2001年にまで遡れます。彼らはグローバルブランドとして戦っていくために、彼らの強みであるランニング事業とスポーツスタイル事業に経営資源を集中することを宣言しました。
そこにやってきたのがレトロスポーツのブームでした。彼らは一気呵成に店舗展開、プロダクトプレースメント、ダブルネームを推し進め、オニツカタイガーの世界観をくっきりと浮かび上がらせることに成功しました」(業界関係者)。
その後の快進撃はご存じのとおり。東京を皮切りに、パリ、ロンドン、ベルリン、アムステルダムへと店舗網を広げた。
瞬く間に土台を築いたオニツカタイガーは今年、再び動き出した。3月にロサンゼルスのロデオドライブ、5月にロンドンのリージェントストリートにフラッグシップストアをオープン、これにより海外出店数は140店に。
当時のカタログ。
オニツカタイガーは返す刀でトータルブランドへと舵を切った。名だたるメゾンでキャリアを積んだアンドレア・ポンピリオをクリエイティブディレクターに迎え、さる2月にミラノコレクションでデビュー。アウトドアシーンにインスパイアされたというコレクションは国内外で高く評価された。
好事家を唸らせたニッポン メイドも素通りできない。クラフトマンシップをお題に、日本製にこだわったコレクションである。
オニツカタイガーに日本が誇るシューメーカーをバックボーンとするアドバンテージがあったのは確かだ。しかし、長者に二代なしの故事があるように、そのありがたみを理解することなくうつつを抜かしていれば屋号というものはたやすく色褪せる。
鬼塚喜八郎も草葉の陰で喜んでいることだろう。
 
竹川 圭=取材・文


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