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2021.06.24

ライフ

未来の五輪候補選手・酒井仙太郎くんの父が語る“サーフィンと親子関係”

数々の大会で入賞し、注目を集めるトップジュニアサーファーの酒井仙太郎くん。父親の正太さんは、我が息子ながら本当に頼もしく育っていると話す。
聞けば、サーフィンを通して親子ともども人生における大切なことを学んでいるという。
 

湘南移住をきっかけに一家全員でサーフィン開始

未来の五輪候補選手・酒井仙太郎くんの父が語る“サーフィンと親子”の良き関係
[右]酒井正太さん Age  40 [左]仙太郎くん Age 14●2014年、神奈川県藤沢市へ引っ越したことをきっかけに家族全員でサーフィンを始めた酒井さん一家。程なくして仙太郎くんはコンペティションに開眼。近年、入賞常連のトップジュニアサーファーとして注目を集め、日本サーフィン連盟による「2021年サーフィン強化指定選手」のひとりに選ばれるなど、着々と実力を伸ばしている。正太さんは、仙太郎くんのサポートと自営の仕事の合間を縫ってはサーフィンを楽しむ。
今年中学校3年生になった酒井仙太郎くんは、日本サーフィン連盟による「2021年サーフィン強化指定選手」に選出されている期待のジュニアサーファー。未来の五輪出場候補選手として、多くのコンテストで活躍している。
大人顔負けのサーフィンをする子供の親は昔からのサーファーだったり、サーフィン業界の関係者であることが多い。しかしながら、酒井家は違う。
海のある暮らしに憧れて湘南に移住し、家族みんなで一緒にサーフィンを始めたのだ。父親の正太さんは移住のきっかけを次のように話す。
夕暮れ時、気持ちよさそうにボトムターンをする仙太郎くん。きれいなラインを描くサーフィンが持ち味のトップジュニアサーファーだ。
「以前は建設関係の会社に勤め、神奈川県の海老名にいました。生まれ故郷の山形へ帰ろうかと思っていたのですが、仕事の責任が大きくなってきたため、腹を決めて会社を作り自営業へ。永住するなら海の近くがいいと思い、湘南に決めました」。
山形にいた頃はスノーボードやスケートボードを楽しんでいた正太さん。当時から海、サーフィンへの憧れを強く抱いていたという。
酒井家が湘南に引っ越してから迎えた初めての夏。一家揃ってサーフショップの門を叩き、スクールを受けた。それからというもの、家族でサーフィンを楽しむ日々が始まった。なかでも仙太郎くんは海にのめり込み、好きだった鉄道の趣味などすっかり忘れてサーフィンに没頭している。
左から長女の胡晴ちゃん、母親の康子さん、愛犬のわらび、仙太郎くん、正太さん。週末には一家揃って海に行く。サーフィンのために平日の学校はサボらせないのが酒井家の鉄則。
酒井家のサーフィンはゼロからのスタート。親子で協力し、手探りで勉強を重ねたと正太さんは振り返る。
「テイクオフ、ボトムターン、カットバック、オフザリップ、エアーと段階的にサーフィン雑誌やネットで調べて勉強しました」。
ライディングの撮影は仙太郎くんの上達に欠かせない。あとから動画を見返し、海の中での自分のイメージやうまいサーファーの動きと照らし合わせてサーフィンを改善するという。
仙太郎くんはというと、「好きなサーファーのビデオをスローモーションで観てイメージする。技をかけている場所や体の使い方などに注目します。あとは父や母に撮ってもらった自分のサーフィンのビデオを見返し、ダメなところとかを見つけて次につなげる。自分ではうまく乗っていると思っても、映像で見るとイメージと全然違うんです」と、動画でテクニックを吸収。
自ら予習・復習の術を身に付ける我が子を見て、正太さんは頼もしく思った。また、独学で得た意見をふたりでぶつけ合いながら、日々サーフィンに磨きをかける関係が喜ばしいと言う。
仙太郎くんはサーフィンについて気付いたことや課題を事細かにノートに書き記している。内容はテクニックから食事にいたるまで多岐にわたる。「学校の宿題の提出もきちんと守る。そのあたりは親よりしっかりしています」と正太さん。
そのように我が子の成長を見るのは何よりの楽しみだが、ちょっと残念なこともあるという。
「息子がうまくなるにつれ、自分がサーフィンする時間が減りました。今ではバリバリのコンペティションサーファーだから、ポイント取りがうまい人ばかりが集まるところに入るので、僕はなかなか入れないんですよ。
『仙太郎の親父、邪魔だったぞ!』なんて言われるのは嫌なので(笑)。波が良ければビデオを撮ってあげたいですしね」と正太さん。


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