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思考の土台は、あそびの中でしか育たない

指導していて思うのは、僕たち教師が子どもの能力を伸ばすことはできないということです。
教師が関わって伸ばせるのは、その子が伸びていく中の一要素でしかありません。学力が伸びるか伸びないか、その決定的な要因に「思考の土台」があると感じています。
何かの問題に取り組んで、問題を解く見通しがぱっと閃く力のある子は「思考の土台」を持っています。この土台が中学校で伸びることはありません。その年齢ではもう変化しないのです。
では、その土台を作っているものは何か。それは幼い頃から体験してきた「あそび」だと思います。例えば、ペットボトルのキャップをずっと開けたり閉めたりしている子がいます。
運動機能的なことで言えば、指や手首を使ってキャップを「回す」という作業です。同時に触覚は、「固い」という感覚をつかみます。さらに、さっきと同じように回していてもうまく回せない場合もあって、子どもは試行錯誤します。いろんな側面から繰り返して学んでいるのです。
大人から見れば意味がないように見える行動でも、それに没頭することで子どもたちはいろんな「種」を、体全体で身につけているのです。

子どもが本来持っている輝きを見えれば、子どもを見る目も変わる

先日、幼稚園の子どもたちが遊んでいる光景を見かけました。なかでも僕が注目したのが、水たまりの中に両手を突っ込んでいた子どもです。
きっと水に手を入れた瞬間は「ヒヤッ」としたでしょう。土の奥のぬるぬるとした触感だったり、水が腕をつたうことで重力や摩擦を、具体的に体験していたかもしれません。
こうして子どもたちは日々の生活の中で、たくさんの「具体」を体験し、速さや重力などのルールや法則を見出していきます。例えば小学校で習う「速さ×時間=距離」の関係も、遊んできた体験の中で具体的な感覚を持っている子は、それを先生が言語化することで難なく吸収していきます。
けれど、昨今の子どもたちの勉強方法には何の躍動もありません。机に向かう勉強は、目と少しの耳を働かせているだけ。体全身で身につくわけでもなく、頭の中で記憶するだけです。
勉強がつまらないものになるのも当然で、自分の考え方、感じ方で判断しない方が得だと感じるかもしれないし、こういうことひとつひとつが子どもの輝きを奪いとっていくことになる。僕は子どもたちの未来に危機感を募らせざるを得ません。


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