アクセルベタ踏みで、街中から未舗装の山道までを駆け抜ける、最も過酷なカーレースとも言われるWRC(世界ラリー選手権)。つまりラリーカーはその過酷なレースに耐え得る最強の車ということだ。
そして実は、WRCの出場車は市販車を改造したマシンであることが義務付けられている。
そのためWRCマシンには必ず市販車が存在するのだが、なかには無理矢理、市販車を作り上げることも。
そんな表からは見えにくいメーカーの努力の歴史を、WRCで活躍したイタリアの名車4台から見てみよう。 ■あまりにも速すぎで失格になった!?「ランチア フルヴィア・クーペ1.6HF」
ランチアがフィアット傘下に収まる前の、最後の車となったフルヴィア。1LのV型4気筒エンジンをフロントに載せて前輪を駆動させる小型セダンからデビューした。
その後1.3Lまで排気量をアップした2ドアのクーペが追加されたが、このクーペをベースに、ラリー参戦を目的に市販されたのがクーペHFだ。
つまりラリーのために最初からベースの市販車のレベルを引き上げたってこと。このクーペHFをベースとしたラリーカーは、ランチア初の勝利をもたらし、以降の輝かしい戦歴の第一歩となった。
その後もベース市販車の戦闘力アップ作戦は繰り返され、最終的に1.6Lまで排気量をアップした1.6HFをベースに、フルヴィアはラリーで黄金期を迎えた。
あまりにも速すぎたため、レース車両が通過時間をチェックするチェックポイントの設営が完了する前に通過してしまい、「早く着き過ぎたから失格」という前代未聞の逸話を持つ。
この市販車は少ないながら現在の日本でも流通している。70年代当時のカーレース最前線の車を自分で操れる。このワクワク感もラリーの魅力のひとつと言って過言ではないのだ。
■とりあえず市販すればいいんでしょ?な「ランチア ストラトスHF Gr.4」
ラリーで勝つためだけに作られたマシンが、ストラトスHF Gr.4だ。
もちろんルールだから、市販車も販売されたが、レースカーを公道も走れるように改造しただけ(順序が逆!)。さらにオイルショックの影響をもろに受け、まったく売れなかったらしい。
一方で本願のWRCは!?というと、あっという間に連戦連勝。1974年〜1976年の3年間、マニュファクチャラー・タイトルをランチアにもたらした。
ホイールベースはわずか2180mmと軽自動車よりも短い。対して全幅は1750mmもあり、全高は小学1年生の平均身長よりも低い1115mm。
勝利に徹したこの特異な縦横比の構造を、見事なデザインでまとめ上げたのはベルトーネ時代のマルチェロ・ガンディーニ。ランボルギーニ・ミウラやカウンタックも彼の作品だ。
エンジンはフェラーリ・ディーノ用の2.4L V6、製造にはカウンタックなどを開発したジャン・パウロ・ダラーラも関与している。数あるスーパーカーの中でも異彩のオーラを放つパーパスビルトカー(特定の目的のためだけに作られた車)だ。
当時はまったく売れなかったというストラトスHF Gr.4だが、市販車でこんなスペックの車に乗れるなんてあり得ない。その魅力が再認識されてきているのが、7100万円という値段に現れている。
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