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■平凡な車がラリーチャンピオンに!?「フィアット アバルト 131ラリー」

ランチアのストラトスのように、最初からラリーを念頭に開発された車もあれば、フィアットの131のように、平凡な乗用車が一夜にして世界の桧舞台に立つこともある。
ベースの131は、フロントに1.3Lまたは1.5Lのエンジンを置き、後輪を駆動させる、当時としては中庸な構造で、デザインも社内で済ませた小型乗用車だ。写真の1977年モンテカルロラリー優勝車と比べるとかなり大人しい印象に。
当時、傘下のランチアがストラトスでラリー界を席巻するのを目の当たりにし、フィアットも自分たちの車でラリーに参戦しようと画策する。
当初はストラトスのようにラリー専門車も検討したと言われているが、結局「量販車のほうが商売的に美味しい」と考え、131に白羽の矢を立てた。
アバルトは131のボンネットやフェンダーをFRP製に、ドアの外側をアルミに変えるなど軽量化し、足回りも変え、2Lエンジンを載せてフィアット・アバルト 131ラリーを制作した。中古車はほとんど流通していない。
もちろん勝たなければ意味がない。そこでパートナーとして選んだのがアバルトだった。
もともとアバルトはチューニングメーカーとしてフィアット500(チンクエチェント)をはじめ、フィアット製の量産車を戦闘マシンへとチューニングして名を馳せた。その活躍がフィアットの目にとまり、この頃既に同社の傘下に収められていたのだ。
アバルトは131の2ドアセダンをベースに大幅に改造。フィアット・アバルト 131ラリーとして規定台数が生産されるとともに、ストラトスの後を継ぐようにWRCで1977年、1978年、1980年と3回ワールドチャンピオンに輝いた。
 

■ランチアのラリー復興の夢を見たフィアット「ランチア ラリー037エボリューション2」

1982年にWRCのレギュレーションが変わって市販車の規定台数がグッと減ったため、ベースの市販車をあまり気にしなくてもよくなった。
そこでフィアットはランチアのラリー界での復権を目指し、グループの総力を挙げてランチア・ストラトス同様、あくまでもラリーで勝利できる車を開発した。それがラリーだ。
開発コードの「SE037」の037を取ってラリー037や037ラリーなどと呼ばれている。写真は排気量を2Lから2.1Lへと拡大したエボリューション2のワークスカーだ。
製作を指揮したのはアバルトで、エンジンの製作も担当した。
また骨格であるシャシーは、ストラトスのときのようにジャン・パウロ・ダラーラが、デザインはフェラーリ各車をはじめ、数多くの美しい車を生んでいたピニンファリーナが手掛けるという豪華な制作陣だった。
名門カロッツェリアのピニンファリーナによるデザインは美しいだけでなく、風洞実験を繰り返して、戦闘能力も高められていた。日本にもごくわずかだが市販モデルが輸入されたよう。
アウディがクワトロでラリー界の常識を4WDに変えようかという勢いのなか、最高出力205psを発揮する2Lエンジンをシートの後ろに載せて後輪を駆動させるMRで挑み、1983年にWRCのワールドチャンピオンに輝いた。
しかし翌年からは4WD勢に苦戦するようになり、のちのランチア・デルタS4につながっていく。
 
現在のWRCでは、この当時より規定が緩和されたものの、一定の台数以上を生産している市販車ベースであることに変わりはない。世界一の過酷なレースを駆け抜ける車の市販モデルのハンドルを自分も握ることができる。これはラリーカーの大きな魅力のひとつなのだ。
 
籠島康弘=文


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