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2021.05.27

ライフ

数学の本質は計算ではない。具象と抽象のあいだを行き来する学問とは

当記事は「JAXA」の提供記事です。元記事はこちら
ナビエ・ストークス方程式 ©arc image gallery /amanaimages

具象と抽象のあいだを行き来する学問

JAXAの取り組みにおいて欠かせない学問、それが数学だ。
数式を通して世界の真理に近づくことで宇宙航空分野の研究開発は進んでいく。つまり生活者である私たちにとってはあまり馴染みのない数式も、JAXAの研究者にとってはインスピレーションの宝庫だったりするのだ。
そんな数学の情(こころ)に少しでも触れてみたい。そこでJAXA機関紙「JAXA’s 83号」のタブロイド版に掲載した「数式が私たちに世界を教えてくれる」の番外編として最も難解な数式のひとつ、ナビエ・ストークス方程式を扱う、航空技術部門・数値解析技術研究ユニット長の青山剛史と同ユニットに所属する数学者の相曽秀昭に話を聞いた。

誰の主観で捉えてみても、“正しい”と思える世界

青山、相曽が属する航空技術部門の拠点は、JAXA調布航空宇宙センターにある。写真はセンター内の空力2号館および空気貯気槽。大きな空気タンクがあるのは、航空機や宇宙機が空気中で飛行する際の風の流れを再現し、観察・検証・計測を行う風洞実験のため。
―物事を判断するときに文系的なマインド、感覚的には情緒や主観を重んじていると、数学や数式の世界とは、”主観”が徹底的に排除された、“客観の世界”に思えるんですね。解がひとつであるという先入観も相まって。
相曽 なるほど。でも実は、数学や数式というものは、主観が許されない世界なのではなく、誰の主観で捉えてみても、“正しい”と思える部分を抜き出す世界なんです。
―そういう見方ができるんですね。相曽さんの視点から数学に触れ合えるとするなら、文系の人間であっても「もしかしたら自分も参加できるかも」。そんな意欲が湧いてきました。
相曽 それは良かったです。さらに言うと、数学や数式は芸術と同じように“文化である”と、私は思います。私や青山は普段、飛行機の翼の周りに生じる空気の流れをシミュレーションする「数値流体力学(CFD)」を研究していますが、大きな意味でそれは自然科学の領域の研究でもあるんですね。
自然科学とは自然界の法則性を明らかにする学問ですが、そのうちのひとつである物理学は、物の理(ことわり)を科学します。
“ことわり”とは、物事の筋道、条理、道理のことを指しますが、物事の筋道をどのように認識、理解するのか。結局それはひとりひとりの精神性、個別性に深く関わってくるわけですから、そういった意味においては自然科学もまた、文化のひとつと言えるでしょう。
数値流体力学(CFD)で解析した、航空機周りの空気の流れを可視化したもの。
―おもしろい視点ですね。その自然科学において数式は欠かせないツールであるわけですが、ここで改めてJAXA’s 83号タブロイド版(P19)で青山さんに解説いただいた、「ナビエ・ストークス方程式」(以下NS方程式)について触れてみたいです。数学的には重要な未解決問題を抱えているというNS方程式ですが、もしも問題が解決した場合には、世界はどのように変わるのでしょう?
青山 まず NS方程式が解けた際には、おそらく数値流体力学(CFD)に取り組んでいる我々研究者は全員失業してしまう。それぐらい大きなインパクトになりますね。
相曽 完全に解けたらの話ですが、青山のいう通りですね(笑)。
―なかなかのインパクトを持つNS程式ですが、そもそも航空機の翼周りの流れの決定のほかに、NS程式はどのような現象を決定づけるのでしょう?
青山 たとえば、川の流れから生体内の血流まで。NS方程式とは“流体”が関与するものすべての運動量の保存を表した、「偏微分方程式」です。
ですがお話ししている通り、NS方程式はあまりに複雑な方程式のため、未だ完全には解けてはいないので、かつては、いろいろな条件を設定して方程式を単純化することで解を求めるというのが一般的に行われていました。
しかし、スーパーコンピュータが現れ、それを駆使した数値流体力学(CFD)が発達したため、結果的にNS程式の近似解を求めることが可能になりました。
調布航空宇宙センター内にあるスーパーコンピュータ棟では、現在JAXAとして3代目となるシステム「JSS3(TOKI)」が稼働中。
―なるほど。だからこそ、NS方程式を完璧に解けてしまったら、数値流体力学(CFD)の研究をされているおふたりは失業してしまうと。
青山 そうです。NS方程式が解けた世界というのは、それまでスーパーコンピュータを使ってとんでもない時間や様々なリソースをかけて計算を行ってきたものが、一瞬のうちに答えが出る世界になるということです。
結果、いろんな流体現象に対する理解がどんどん深まっていきますし、何かものを作るときには、こんな形にすべきだという解もまた、あっという間に出てくると。NS方程式は天気予報にも応用されていますので、予報の速度もガラッと変わるでしょうね。
―ちなみに「スーパーコンピュータを使ってとんでもない時間をかけて計算」の、その “とんでもない”とは、どのぐらいのスケールの話でしょうか?
青山 それは対象にもよりますが、例えば大きな旅客機が一機あるとして、その旅客機の周りの空気の流れを計算するのに、JAXAのスーパーコンピュータで2分かかります。
―2分。予想よりも十分に速いです。
青山 10年前までは1日程度かかっていたことを考慮するともちろん早いですが、スーパーコンピュータを何台も使った上での2分です。それも十分に細かいところまで解こうとはしてなくて、飛行機を浮かび上がらせる揚力がどの程度になるかを大雑把に見積もった計算で、2分。これが例えばその揚力を作る微細な渦まで細かくちゃんと計算しようとすると、1、2週間。場合によっては1カ月とか、そういうレベルで時間がかかります。
相曽 今の話を補足すると、1日かかっていた計算が2分まで短縮できたという背景には、まずスーパーコンピュータの性能がよくなったことが挙げられますが、同時に数値計算のプログラミングを担当した技術者たちが力を尽くした結果でもある。ということは、お伝えしておきたいです。
実際のプログラムを表示した画像。


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