ラグジュアリー。気品。エレガンス。究極。エルメスを形容する美しい言葉はいくらでもあるけれど、僕らがいつも心惹かれてしまうのは比類なきロマンと冒険心が宿るブランドだから。
さあ、次はどこへ向かおう。エルメスを手に取ると、ついついそんな衝動に駆られ、心が疼いてしまう。
そんなエルメスと「オデッセイ=旅」の素敵な関係について、北極冒険家の荻田泰永さんが語ってくれた。
今こそ、知的情熱の深化を図り、来るべき跳躍の時代にさらなる飛躍を
世界が移動の自由に制限を受けた一年が過ぎ、いまだに社会は混乱の最中にある。各国の冒険家たちも、自身の計画に影響を受けたものが多い。
この一年、どこにも冒険に出ることのなかった私自身、何をしていたかと振り返ると、随分と本を読んだ。これまで20年にわたる極地での単独徒歩冒険により、多くの体験を積み上げてきた。
しかし、ひとつの世界に没頭し続けたことで欠落した部分も感じている。それを埋めるように、社会学や哲学、小説や宗教の書籍を読み漁ってきた。
人間は古くから、活動域の拡大を求める一方で、自己への探究も行ってきた。自己探究と身体活動の拡大が一体となった行為が、探検だ。今から100年以上前、極地探検家のアプスレイ・チェリー=ガラードはこう書き記した。
「探検とは、知的情熱の身体的表現である」。
人間の移動や、そこにまつわる自由とは、身体的行為にほかならない。しかし、探検においては知的情熱が第一にあり、さらに足を踏み出す衝動として、冒険心が必要だ。
冒険とは衝動であり、探検とは知的情熱である。
身体的活動の衝動としての冒険がままならない今こそ、知的情熱の深化を図り、来るべき跳躍の時代にさらなる飛躍を期待すべきだと、私は思う。
冒険や探検は、平常の社会においては無駄な行為と一見映る。しかし、社会が危機に陥ったとき、率先して動き、誰も行かない場所まで可能性を求める冒険心を持った少数者の存在が、多くの人々の指針にもなってきた。
日常の社会において多くの価値を世に提供するエルメスのようなブランドが、冒険をテーマに設定することには、ひとつの意味がある。それは、日常と非日常の往復運動を行い、その中で衝動と知的情熱の深化を図ることで、人類の進歩と発展に寄与することであろう。
知的情熱は想像力を跳躍させる。地球儀を前に、来るべき新たな時代の旅路に想いを馳せるのも、贅沢な時間になるのではないだろうか。
移動の不自由を感じる今だからこそ、エルメスからのメッセージである「ヒューマン オデッセイ」を、新たな時代に向かう指針としたい。
清水健吾=写真 小山内 隆=文