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原点は「なんでも自分でやった」世界一周

【写真11点】「車との対話を楽しむ男のボルボ・240セダン」の詳細写真をチェック

3年かけてバイクで世界一周したことのある赤池さんにとって、’85年式の240に乗り続けるというのは、さほど難しいことではないのかもしれない。

例えば、止まれば死に繋がるアフリカの砂漠を横断する際は、直前のヨーロッパでバイクのオーバーホールを行い、大型の燃料タンクに載せ替えるなど、何でもひとりでやってきたのだ。

車だって構造さえわかれば何とかなる。実際、240でもたいていの修理は自分でやれるという。
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「高校生の頃からバイクに乗るのが好きだった」という。あまりにも好きすぎて、仕事を辞めてまで日本一周を始めたほどだ。

その旅の終盤、沖縄の離島へ向かうフェリーの中で「サハラ砂漠は面白いぞ」と語る、バイク乗りの旅人がいた。バイクでサハラ砂漠なんて、えらいホラを吹くおっさんだなとその時は思ったそうだが、離島に着いて他の旅行者とお酒を飲みながらその話をしたら「それって、賀曽利 隆さんじゃないか?」と言われた。

賀曽利 隆さんとは、日本人で初めてバイクでアフリカを横断した第一人者であり、日本人で初めてパリダカへ参戦した伝説のバイカー。

それを聞いた途端「バイクって奥が深い。日本一周なんかより、世界のほうが面白そう!」と思ったという。

だから本当は沖縄から四国へ行く予定だったが、すぐにキャンセルして東京へ戻った。アルバイトでお金をため、まずはアメリカへ。

ネイティブアメリカン居留地で数日過ごした後、現地の新聞の個人売買の欄を見てバイクを買い、それにまたがってアメリカを横断。一旦帰国すると今度は3年間しっかりお金を貯めて、世界一周の旅へと出掛けた。

カーナビもスマホの案内アプリも使わない。「頭の中にだいたい地図がある」からと。地図本も一応載せているが、林道まで頭に入っているという。


世界一周の途中で、父親が亡くなり、一時帰国。その際に久しぶりに会った一緒にバイクで遊んでいた友達から「仲間のひとりがマウンテンバイクを始めたんだけど、面白いから一緒に行かないか」と誘われた。

誘われるままにマウンテンバイクに乗ってみると「これがまた面白い」。しばらくして再び世界一周へと出掛けたが、マウンテンバイクの楽しさは脳裏に残り続けた。



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