偉大過ぎた「205」
そんなプジョーの猫足を日本人が知るようになったのは、やはり1983年に登場した「205」からだ。日本導入は1986年から。
ライバルであるフォルクスワーゲンの「ゴルフII」が、ヤナセによってしっかりとPRされ、販売されていたのとは対照的に、当時のプジョーの販売網は貧弱だったにも関わらず、日本でも大ヒットを記録する。
ちなみに当時「205」を販売したのは、シトロエンも扱っていた西武自動車販売(百貨店の西武の一部門)やスズキディーラーの一部、三井物産系でローバー車をメインに扱っていたオースチンローバージャパン、都内では商社である日商岩井の自動車輸入販売部門など。これだけ指揮系統がバラバラな販売体制でも驚くほど売れたのだから、「205」はそれだけ魅力のあった車ということだ。
その要因は、まず見た目だろう。当時のプジョーのデザインは、フェラーリなども手掛けていた有名なイタリアのカロッツェリア、ピニンファリーナが担当していた。
「205」はフロントグリルの横スリットやヘッドライトなど、一見直線基調を思わせるフォルムだが、例えばリアサイドウインドウの角Rだったり、ハッチバックの下端がわずかにラウンドしているなど、絶妙な塩梅で曲線が取り入れられている。
「205」のライバル、フォルクスワーゲンの「ゴルフII」が実直なイメージなのに対して、柔らかなフランス(とイタリア)のデザインは新鮮だったし、特に屋根の開くカブリオレは、女性誌を含むファッション誌でも度々取り上げられた。そう、女性ファンが多かったのも「205」の大きな特徴だ。
ラコステとのコラボモデルもあり、日本にも100台が輸入されている。専用色の白で覆われたボディには、ラコステを思わせるグリーンとレッドのストライプが入り、ワニのマークも備わっていた。
さらに、ひと足先に日本の車好きたちを熱狂させていた「ゴルフII」のGTIに対して、プジョーも「205GTI」を投入。重厚な「ゴルフII」とは違う、ひらりひらりと峠を駆け回るように走る“猫足”が、これまた車好きを引きつけた。
もちろん自慢の足回りはGTI専用のものが与えられている。
ただし、この「205」の大成功による思わぬ呪縛として、日本では長らくプジョー=コンパクトなハッチバック、というイメージに苦しむことになる(セダンなどほかのボディバリエーションがなかなか売れない)のだが。
それほど「205」は、プジョーという名を知らしめた偉大な一台なのである。
「中古以上・旧車未満な車図鑑」とは……“今”を手軽に楽しむのが中古。“昔”を慈しむのが旧車だとしたら、これらの車はちょうどその間。好景気に沸き、グローバル化もまだ先の1980〜’90年代、自動車メーカーは今よりもそれぞれの信念に邁進していた。その頃に作られた車は、今でも立派に使えて、しかも慈しみを覚える名車が数多くあるのだ。
上に戻る 籠島康弘=文