どうしても「意見」を入れてしまう癖が抜けない
「お前はどう思うか」を問われる毎日から、「意見などいらない。ファクトとロジックだけで話せ」と言われる日々が始まりました。これはなかなか厳しい「変化」でした。
何を書いても言っても、これまでの癖で「自分はこう思う」が入ってしまうのです。
今でこそ事実と意見を分けることはある程度できるようになりましたが、当時30歳というコンサルティングの仕事を始めるにはかなりギリギリな年齢であった私は、慣れるのに半年以上はかかったように思います。
コンサルティングの提案書などを書いても、毎度真っ赤に修正されて返ってきました。いい年の大人が文章ひとつ書けないことに情けなく思ったのを覚えています。
「事実」が先か、「意見」が先か
さて。「事実」に反していれば実現はしないでしょうし、「意見」がなければありきたりな差別化できない方策しか出ず、ビジネスの競争には勝てません。だから結局は「事実」から推論できることも、創造的な「意見」も、どちらも重要なことだと思います。
問題は、若い人がその両方を身につけていくのに際して、どちらから始めるべきかということかもしれません。
私の場合は「意見」を出すことを要請されることから始まり、あとで「事実」だけで物事を考えることを要請されるという順番でした。それは、その時々に担当した仕事がそれぞれを必要としたからその順番になったので、結果、良かったと思っています。
「事実」からのスタートが適切ではないか
ただ、私は、「どう思う?」からスタートするよりも、事実を客観的に見据えていくほうから訓練したほうが、もう少しスムーズにいったのではないかと思っています。というのも、今の若者は学生時代に「君はどうしたいの?」と何度もいろいろな機会に問われており、むしろ「意見過多」の状態になっていると思うからです。
実際、若手と仕事をするときに何かの対象(市場や組織や商品など)について「どう思う?」と聞くといろいろ出てきますが、「どうしてそう思った?」と聞くと根拠がなく、要は「そう思ったから、そう思った」という思いつきの状態であることが多々あります。ですから、もっと客観的に物事をみる訓練が必要ではないかと思うのです。
権限移譲がないのに「意見」を聞かれても
もうひとつの理由は、リクルートのように「意見」を言ったらすぐやらせてくれるというのであれば、それでもいいと思いますが、なかなかそんな会社はないのではないかと思うのです。
自分の「意見」を実行できるのであれば、すぐに「事実」に直面するため、変な「意見」を言っていれば修正されます。しかし、「意見」を聞いても、「いい意見だ」「つまらない」とかだけ評価されるだけで、やらせてもくれないのであれば、納得感もないし、意見を磨くこともできません。それなら「意見」を聞くだけかわいそうです。
だから、多くの若手は「どうしたい?」と上司に問われても、「やらせてくれないくせに」と疑うわけです。そうであれば、若手は最初に「自分はどう思うかは捨てよ」の洗礼を受けるほうが、合理的で納得性が高いのではないかと思うのです。
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上に戻る 曽和利光=文 株式会社 人材研究所(Talented People Laboratory Inc.)代表取締役社長 1995年 京都大学教育学部心理学科卒業後、株式会社リクルートに入社し人事部に配属。以後人事コンサルタント、人事部採用グループゼネラルマネジャーなどを経験。その後ライフネット生命保険株式会社、株式会社オープンハウスの人事部門責任者を経て、2011年に同社を設立。組織人事コンサルティング、採用アウトソーシング、人材紹介・ヘッドハンティング、組織開発など、採用を中核に企業全体の組織運営におけるコンサルティング業務を行っている。 |
石井あかね=イラスト