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WRCを制しスポーティーなブランドイメージに

第一次世界大戦に耐え抜き、第二次世界大戦の終戦間もない1948年、プジョーは自身初のモノコックボディとなる「203」を発表。50万台以上を生産する大ヒットとなった。
戦後、最初に生産されたのが「203」。このあと、プジョーでは長らく車名に三桁の数字を採用することになる。冒頭の数字は車格を、後半の数字は世代を表すと考えると分かりやすいだろう。
1955年には、自動車ボディのデザインファームであるピニンファリーナが携わる「403」を発表。以降、ピニンファリーナとの関係は2000年頃まで約半世紀続くことになる。
ピニンファリーナによるデザインを纏った「504」は1968年に発表されると、ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するなど各地で賞賛された。その後、モデルチェンジを繰り返しながら2006年まで生産され、累計370万台を販売。プジョー史上、最も息の長いモデルとなった。
「504」のターゲットは当時の中流階級。耐久性にも定評があり、ピックアップ仕様も存在した。アフリカと南米でもヒット。
一方、「205」をベースにした「205ターボ16」(といってもほとんど中身は別物だが)がWRC(世界ラリー選手権)とパリダカールラリーで優勝。“砂漠のライオン”の異名で、プジョーのスポーティーなブランドイメージを浸透させていった。
その結果、「205」はフランスで史上最高に売れ、最も輸出された名車として、1983年にデビューしてから1993年まで製造された息の長いモデルとなった。日本でもヒットを飛ばし、この車で初めてプジョーを知ったという人が多いのではないだろうか。
日本でのプジョーの知名度を一気に上げた「205」。
この頃から日本の車雑誌で「プジョーの猫足」と言われるようになる。
サスペンションが大きくストロークしたあとでも安定して路面をつかむ特性や、コーナーの出口での安定した挙動といった特徴が、高い所からスッとしなやかに降りる猫の足に例えた言葉だが、いつしかこの言葉は日本でプジョーの乗り心地を示す言葉になっていく。
第二次世界大戦前からアウトバーンが整備され、比較的しっかり舗装された道路で鍛えられたドイツ車と違い、凸凹な石畳や曲がり角が多かったフランスでは、必然的にプジョーのような柔らかな足回りにせざるを得なかったようだ。


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