「20代から好かれる上司・嫌われる上司」とは・・・理想の上司は、昔「星野仙一」、今「内村光良」
明治安田生命保険が毎年全国の新入社員となる人を対象にしたアンケート調査
「理想の上司」ランキングというものがあります。
男性部門だと、最近では4年連続でタレントの内村光良さん(ウッチャン)が1位でした。「親しみやすい」「優しい」イメージが選出理由の70.5%を占めています。女性1位の水卜アナウンサーも同じ理由が61.1%でした。
約20年前の2000年代だと、闘将と呼ばれた故星野仙一監督がトップになったりしていたわけですが、若手が求める人物像がかなり変わってきたのはこんなことからもわかります。
「厳しさ」と「面倒見の良さ」が共存していた星野監督
私は元々愛知生まれで、その後関西で育ったこともあり、中日→阪神と監督をされた星野さんはずっとファンでした。そのイメージは、鉄拳制裁も辞さない厳しさと、その裏側にある「最後の責任は俺が取る」という包み込むような面倒見の良さでした。
楽天の監督時代、日本一の後、メジャーに挑戦したいマー君(田中将大投手)を、戦力減が確実にも関わらず全面的に支援したのは記憶に新しいところです。自分の指導についてきたメンバーの人生すべてにコミットする。誰もがその姿に惚れ込んだものでした。
今の時代、他人の人生にどこまでコミットできるのか私はこの星野監督の人間像、上司像は今でも十分通用すると思います。
しかし、それは「本当に厳しさと面倒見の良さが両立するなら」です。星野監督の社会的影響力や人脈、財力があれば、確かに部下の一生の面倒を見る、という言葉も現実的かもしれません。
また、四半世紀前なら、組織で働く会社員の上司でも、「ちゃんと会社の方針に従っていたら、悪いようには絶対にしない」と確信を持って言えたかもしれません。しかし、皆さんもご存知の通り、当時の「約束」は後の日本の「失われた数十年」の中で反故となってしまいました。そんな今、「お前の人生の面倒は見るから」と言える人はどれだけいるでしょうか。
「自由と自己責任」からは、もう後戻りできない
この数十年で「指示に従えば、責任は取る、面倒は見る」の代わりに流布した言葉が「自由と自己責任」です。
「自由にして良いから、自分で責任を取りなさい」ということですが、本当は「もうあなたの面倒は見られない、責任は取れないから、その代わりに自由にしていいですよ」というのが本音でしょう。
今では、雇用形態から人事制度、異動の仕組みまで、あらゆるところで「自由と自己責任」が広がり、日本の企業社会の常識となっています。そんな時代に「失敗しても責任を取る」という言葉がどこまで信用されるでしょうか。
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