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2020.03.05

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中学1年ではまった落語の世界。落語家・柳家三三「教えない師匠」に学んだ境地

当記事は、「東洋経済ONLINE」の提供記事です。元記事はこちらから。
落語家・柳家三三にインタビューを行った(編集部撮影)
落語家・柳家三三にインタビューを行った(編集部撮影)。
筆者は柳家三三(さんざ)という落語家を、シャープで優秀な、エリートっぽい人だと思っていた。それだからこそ東京落語界きっての名人で、大師匠五代目柳家小さんの後継者と目された十代目柳家小三治門下でも、俊秀の評判が高いのだと思ったのだが。
話を聞くうちに筆者のこうしたイメージは、ぽろぽろとくずれていくのだった。もちろん、“いい意味”で。
 

主文「駄目」から始まった師匠小三治との縁

「生まれは小田原です。小さい頃に『文違い』という落語を聞いて。廓噺で子供が聞くような落語ではないんですが、それを聞いて『面白いものがあるな』って思ったのが原体験なんです」。
より本格的な、そして決定的な出合いは中学1年のときだった。
高座での柳家三三(撮影:橘蓮二)
高座での柳家三三(撮影:橘蓮二)
「1987(昭和62)年の8月の20日と日付まで覚えていますけどね。父親の勤めが東京で、とりあえず東京に僕を連れてきて、浅草演芸ホールの昼席におっぽり込んで、夕方また出て来たら迎えに来るからっていうことで1人で見ていたんですね。
そしたら仲入り前がうちの師匠(小三治)で、その高座にワーって夢中になっちゃった。それから小遣いが許す限り、月1回くらい小田原から寄席通いをするようになった」。
13歳にして病膏肓に入る、である。
「で、もうどうしても高校に行きたくなくなっちゃった。そこで中学2年の2月に、当時学校にたまたまあった芸能人名簿に載っていた小三治の住所に宛てて『入門したい』って手紙を書いたんです」。
普通は芸能人がそんな手紙に反応をすることはありえないのだが、「中学生というのが珍しかったんでしょうね。で、『両親連れて会いに来なさい』という返事のはがきが来た。もうこれは噺家になれるものだと意気揚々と師匠宅に行った」。


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