しかし柳家小三治は「塩対応」をした。
「裁判みたいに、最初に『主文』が読み上げられて(笑)。『駄目』って。で、その判決理由があと4時間(笑)。まあシンプルに言うと、昔は小学校もろくに出ていないような者が噺家になったけど、今は高校ばかりでなく大学を出た人も多数派になっている。
そんな世の中で、中学卒業という人生経験しかない者が、噺家になって聞く人の心をつかむような話芸ができるとは思えない。せめて高校ぐらい出ないと、ということでした。あとで聞いたら面倒くさいからそう言ったらしいんですけど(笑)」。
三三は高校に進んだ。しかし落語家になる思いは断ちがたく、「高3の2学期の期末試験の日に、朝“行ってきます”って言ってそのまま東京行って。師匠のうちの前に立っていた。
初日は会えなくて、2日目もただ立っていて、このままじゃ会えないし、とインターホン押した。そしたら前座さんが出てきて、新宿末廣亭に出ていると教えられて、夜の出番が終わったところを楽屋口で会って話したら、“あら、来ちゃったんだ”みたいな感じで入門が決まった」。
柳家小三治は「厳しい師匠」として知られている。手を上げたりがみがみ小言を言ったりするわけではないが、弟子にはつねに「高い水準」を求める。その静かなプレッシャーが弟子にのしかかるのだ。
「たしかに入門した人の半分ぐらいはクビになってるわけですから、そういう意味では厳しいのかもしれないけど。ただ僕は別に、社会経験とかそういうのもないし、高卒でそのまま入っちゃったから。厳しいとか厳しくないとかは全然考えなくて、言われることをやっていくことがすべて。“ああ、そうなんだ。噺家なんだからこうなんだ”っていうことばっかりでした」。
驚くべきことに、三三は師匠小三治から噺を付けてもらったことがないのだという。
「兄弟子だったりよその師匠だったりに教えてもらった。師匠からは一度も教えてもらっていない。
二つ目になる少し前に師匠に噺を聞いてもらったことありますけど、それも“御隠居さん、こんにちは、誰かと思ったらはっつぁんかい”ぐらいまでやったところで、“聞いてられない”とか“駄目”とか、言われてしまった。そうなると“はい、そうですね”というしかない(笑)。
どう駄目とかは言わないので、自分で考えるしかない。そのときそのときで自分で、ああかな、こうかなって。かといって努力した結果を師匠に見せても“そうか”とか、“それ違う”とかっていうこともとくにはないので。その答え合わせの時間みたいなのものがあるわけでもない」。
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