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「答え」を言わない名伯楽

柳家小三治の「厳しさ」とは、決して「答え」を言わないことなのだろう。
筆者は野球の指導者について取材を続けているが、高校野球やプロ野球の最先端の指導者は「ああしろ、こうしろ」とは言わず「選手に考えさせる」ことが多い。指導者から手取り足取り教えてもらった技術はなかなか身に付かないが、自分で創意工夫したことはしっかり体に染みつく。指導者は間違った方向に行ったときだけ、簡潔に注意を促すのみだ。
小三治の指導法もそういうものではなかったか。落語家もプロ野球同様、“個人事業主”だ。師匠の言うとおりそのままやってもお客に受けなければどうしようもない。自分で考え、工夫をして「受ける噺」を創っていくしかないのだ。そういう意味では、柳家三三の師匠、柳家小三治は「名伯楽」なのかもしれない。
また三三が、アマチュア時代に落研などの経験がいっさいなく、小三治門に入って一から落語の修業をしたことも大きかったかもしれない。純粋培養だから、直接教わらなくとも師匠の考えが砂に水が染み込むように頭に入ったのかもしれない。
柳家三三の「ろくろ首」や「金明竹」などの噺を聞くと、どうしても柳家小三治の同じ噺がオーバーラップしてくる。
主人公である与太郎のスケールの大きな野放図さは、小三治とよく似ているのだ。三三のこれらの噺は、師匠直伝ではなく、ほかの師匠や兄弟子から習ったものなのだ。しかし、つねに師匠小三治が何を思い、何を考えているかを意識の中に抱いていることで、間接的ながら教えを受けていることになるのだろう。
柳家三三は、「賞荒らし」と言っていいほど数多くの賞を受けている。師匠の教えは身に付いているといえよう。ただし、本人はこういう。
インタビューに答える柳家三三(編集部撮影)
インタビューに答える柳家三三(編集部撮影)
「うちの師匠は弟子にも厳しかったし、周りにも厳しかったかもしれないですけど、やっぱり自分に対していちばん厳しい人なんですよね。でも、僕は基本的に自分にいちばん甘いタイプなので、そこまで似てはいないと思いますよ(笑)」。
柳家三三は、当代の落語家では屈指の「能弁」だ。とくに長屋のおかみさん。「締め込み」では、泥棒が忍び込んで作った風呂敷包みを前に夫婦げんかが始まる。おかみさんが「がみがみ」とまくしたてるのだが、三三のおかみさんの言葉は、超高速にもかかわらず粒が立って、意味を持った言葉として聞き取ることができる。
これがある種の音楽のように、耳に心地良い。大工職人の旦那八五郎に「やかましい!」と一喝されたおかみさんは、こう切り返すのだ。
「またお前さん、どっかで喧嘩してきたんだろ。外で喧嘩してはうちに帰ってあたしにあたるんだから子供だよ。おとっつぁんおっかさんが言っていたんだよ。八もいい職人になった、喧嘩しなくなった。一人前の職人だって。
誰とやったんだい、六さんかい、銀さんかい、まさか与太郎じゃないだろうね、あんなものと喧嘩したって何の得にもなりゃしないんだから。腹が立つことがあるかも知らないけど、うちに帰ってあたしにあたったって仕方がないだろ」。
息もつかせず滔々とまくしたてるのだ。このセリフ、自分で口ずさんでみても、ちょっと快感である。
落語史上では六代目三遊亭圓生の師匠の四代目橘家圓蔵(品川の圓蔵)のように「立て板に水」の名人がいる。三三もその系譜に連なる1人だといえよう。
「基本的に落語は何を言っているのかわからなければ伝わらないから、別に速くしゃべれることが自慢にはならないし、意識はしません。それに最近、そのスピード感がちょっとじゃまっけに感じるようになってきたから、少しずつゆっくりに変わっていくかもしれません。
ちなみにSPレコードで聞く四代目橘家圓蔵師匠の口調は、弟子の六代目三遊亭圓生師匠に驚くほどそっくり。圓生師匠のほうがゆっくりかな、と言うくらいで実によく似ていて興味深いです」。


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