初代チンクエチェントは「はつかねずみ」
創業以降フィアットは次々とニューモデルを開発、またアメリカへの輸入やオーストリアでの販売拠点開設など、当初から積極的に海外展開も進めた。さらに船舶や航空機用エンジン開発にも取り組んだ結果、1914年に第一世界大戦が始まった頃には、自社製品を陸・海・空軍すべてに提供できるほどの大企業に成長していた。
戦争特需で得た利益をもとに戦後も積極的に新型車を投入。なかでも1936年に登場した、2人乗りのミニマムカー「500」は大成功を収めた。イタリア語で500は「チンクエチェント」と読むが、初代はそれとは別に「トポリーノ(はつかねずみ)」の愛称で呼ばれていた。
第二次世界大戦では敗戦国となったイタリアだが、フィアットは終戦後急速に業績を回復していく。戦後間もないイタリアで人気だったのはヴェスパなどのスクーターだ。そこで同社は1957年にスクーターから乗り替えてもらえるような安価な小型車、2代目「500」をデビューさせる。
戦前のモデルと区別するため「ヌオーバ・チンクエチェント(NUOVA 500)」、つまり“新500”と呼ばれたこちらは、世界中で大ヒットし、フィアットの知名度を一気に上げたロングセラーモデルとなった。
簡素な空冷2気筒エンジンをリアに積み、後輪を駆動させるRR方式を採用して広い空間を確保。2人乗りのトポリーノよりも短い、3mを切る全長にも関わらず、4人乗りを実現した。また室内にエンジン音が籠もらないよう、ルーフにキャンバストップを設けた。「エンジン音がうるさいと感じたら、屋根を開けて走れば気になりませんよ」というわけだ。
スクーターほどではないにせよ、3mに届かないコンパクトカーだから狭い道を駆け抜けやすく、駐車もしやすい。しかもこの愛くるしいデザイン。NUOVA 500はスクーターを抑えイタリアの国民車として大人気となり、1977年まで約20年間生産された。
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