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ジウジアーロの最高傑作、パンダ

NUOVA 500の後継モデルとして1976年に126が登場。その126の後継モデルが1980年にデビューした「パンダ」だ。エンジンを前に置き前輪を駆動させるFF方式で室内の広さを確保したこの車をデザインしたのは、プロダクトデザイン界の巨匠ジウジアーロ。
初代パンダ
初代パンダ。その名の由来はボディの下半分がグレーで、白いボディだと動物のパンダに似ているからと言われている。
RRのNUOVA 500や126とは異なり、エンジンを前に置き前輪を駆動させるFF方式を採用して広々とした室内空間を確保。
手が届きやすい価格の大衆車は、得てしてチープに見えがちだ。ところがジウジアーロは「コスト削減」の方法を工夫することで、斬新なデザインや快適性を実現したのだ。例えばフロントウインドウを含むすべての窓ガラスを平面で構成した。曲面のガラスよりもコストを削減できるだけでなく、唯一無二のスッキリとしたスクエアデザインを作りあげた。
インテリアでは一般的なダッシュボードではなく、ハンドルから左右にパイプを伸ばしてそこに布を張り、大きなポケット状とした。そのほうがコストを抑えられるのはもちろん、車内の左右に伸びる大きなポケットはデザイン的にシンプルだし、荷物のカタチを問わずガンガン投げ込みやすくて実用的。
フロントシートはフレームに布を貼ったハンモック状に。当然クッションがないからコストを抑えられるが、座り心地は十分快適。このようにコスト削減を逆手にとって、ほかの車にはない工夫で、パンダを大衆車として一気に人気者へと仕立て上げた。
また、オーストリアの軍用車メーカーであるシュタイヤ・プフ社と共同開発した4WDモデルの「4×4」もラインナップした。
 

映画『フォードvsフェラーリ』で描かれた、フェラーリとの関係

同じイタリアの自動車メーカーであるフェラーリとの関係にも少し触れておきたい。経営困難に陥ったフェラーリは、フォードによる買収騒動(映画『フォードvsフェラーリ』でも描かれた)を経たあと、フィアットと提携してV型6気筒エンジンを開発。このエンジンをフィアットは「フィアット・ディーノ」に、フェラーリは「ディーノ・206/246(フェラーリ・ディーノ)」に載せて販売した。
フェラーリ・ディーノがシート後ろにエンジンを置くMR方式なのに対して、写真のフィアット・ディーノはフロントに置くFR方式。スパイダー(オープンカー)のデザインは名門カロッツェリアのピニンファリーナが担当。
これは当時フォーミュラ2レースのレギュレーションで、レース車に搭載するエンジンは年間500台以上生産された市販車のものを使うことが義務付けられていたからだ。フェラーリだけでこの台数をさばくのは難しく、フィアットに提携を持ちかけたというわけだ。ちなみにディーノとは夭折したフェラーリの創業者エンツォ・フェラーリの息子の名前だ。
その後さらに提携が進み、1968年にフェラーリはフィアット傘下に入った。2016年にフェラーリはグループから離脱独立するが、独立してもアニェッリ家が所有する投資会社が大株主となっている。


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