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一方、終戦と同時にポルシェ博士はヒトラーに加担したとしてフランスで幽閉されてしまうが、そのときに彼を救ったのが、彼の長男フェリー・ポルシェが用意したスポーツカーの設計料による保釈金だ。今やポルシェの代名詞とも言えるスポーツカーに、ポルシェ博士は救われたのだ。
その後ポルシェ親子はすぐさま、ビートルのパーツを流用した2シーター・ライトウェイト・スポーツカーを開発。それがポルシェ社として初めて作った356シリーズ(のちの911シリーズ)だ。
356カブリオレ
写真は1954年式の356カブリオレ。このほかにクーペとスピードスター(アメリカ向けのオープンカー)があった。
356シリーズが人気を博し生産台数が増えると、自社生産体制を拡充せずにボディの生産は他社に依頼。またその後フォルクスワーゲン社の技術コンサルタントとなるなど、車の生産会社を背景にしたメーカーが多いなかで、ポルシェ社は車の“設計開発”の色が濃い歴史を辿っている。
356の後継モデルとして開発されたのが今や誰もが知る911シリーズだ。1963年のジュネーブショーでプロトタイプ「ポルシェ901」が初めて披露され、翌年から911として販売が始まった。
ポルシェ901
写真はポルシェミュージアムが所蔵している、911のプロトタイプである901。ちなみに市販にあたり、プジョーが中央に0の入る3ケタの数字による表示登録をしていたことから、901が911に変わったことはポルシェファンなら知っておきたい小話だ。
1971年に経営からポルシェ一族が引いたあとは924や944、ラグジュアリーGTの928などバリエーションを増やしていくが、911の人気・知名度があまりにも高く、いつしか「ポルシェ=911」となり、一時期経営危機にも陥る。しかし1996年に発表したオープン2シーターのボクスターが北米でヒット。さらに2002年に発表した同社初のSUV・カイエンも世界的に大成功を収める。
ボクスターやカイエンの成功で資金を得た同社は、一時フォルクスワーゲンを傘下に収めるほどの企業となったが、その後紆余曲折を経て、現在はフォルクスワーゲン傘下にポルシェが収まるカタチとなっている。


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