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京大生時代、プロボクサーに。「レッテルを貼られたくなかった」

京都大学入学後、しかも未経験からプロボクサーのライセンス取得に至った人なんて、おそらくそういないだろう。プロボクサーになった理由を尋ねると、甲斐さんはさらりと説明してくれた。
インタビューシーン
「“京大生”という偏った色メガネで見られたくなかったというのが一番大きな動機ですね。ステレオタイプに見られるのがあまり好きではないんです。“京大生”と“プロボクサー”って、印象のベクトルは真逆と言っていい。プロボクサーとしてのライセンスを取ってしまえば、自分のアイデンティティは多様化するし、偏った色メガネで見られることもないかなと」。
ボクシングジムの門を叩いたのは大学2年のとき。ライセンスを取るまでは半年もかからなかったという。さらにデビュー戦で勝利を収め、新人王トーナメントに出場することになる。トーナメント期間中は大学を休学するほど、甲斐さんはボクシングにのめりこんだ。
プロボクサー時代
「本気でしたよ。日本のトップランカーとして活躍できると思っていたし、なによりおもしろかったんです。でも、負けた。日本のトップボクサーって基本的に大半は1回も負けなしで王者になるんですけど、僕は普通に負けちゃったから。これでは世界は獲れないなと思って、ボクサーの道はやめたんです」。
あっさりボクサーの道をやめた甲斐さんは、1年間ほとんど実家にこもる生活を続けた。なにをしたかといえば法曹界を目指したのだ。
「ボクシングをやめてバイトもやめて、司法試験の勉強に集中しました。法学部だったので、弁護士になろうと思って。とはいえ1年勉強して受からなければ才能がないってことだから、やめようと前もって決めていました。おそらく人生でいちばん勉強した時代ですね。寝ているとき以外はほとんど勉強していました」。
ボクシングに打ち込んだ1年後には司法試験に没頭。激しい振り幅の大学生活だ。結果は、択一試験は合格、しかし論文試験で惜しくも不合格となってしまう。


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