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法曹界も断念。次に目指したのは金融界のトップ

もう1年やれば確実に受かるとは考えたが、ここでも潔く別の道を選択していく。思い切りがいいのはもともとの性格のようだ。
インタビューシーン
「悩んだけど自分のなかで期限を1年と決めていたから、覆したくなかった。まあ平たくいえば挫折ですね。それで、就職活動を始めて決まったのがゴールドマン・サックスでした」。
ゴールドマン・サックスといえば、世界でも有数の金融機関だ。甲斐さんにとって、法律から金融の世界に飛び込むことは決してかけ離れたことではなかったという。
「もともと僕が希望していたのは、ゴールドマン・サックスの戦略投資部。ここはゴールドマン・サックスの中でも花形で、さまざまな事業の再生とかにお金を突っ込む、むちゃくちゃ面白い部署。仕事内容としても、法律の知識が重要になる。だからこそ自分が学んできたことも生きてくると思った」。
しかし、結果的に甲斐さんは戦略投資部ではなく、債券のトレーダーとして入社することとなる。その気持ちの変化はなぜ、生まれたのだろうか。
「当時の僕に聞かないとわからない部分もあるけど、トレーダーは個人としての力がそのまま評価されるというところにより惹かれたのだと思います。自分の価値をダイレクトに伸ばしていけるのはもしかしたらトレーダーのほうかな、と。ボクシングもそうだけど僕は個人プレーの方が好きなのかもしれません」。
だって自分がいちばんになりたいから。子供のように、そう無邪気に甲斐さんは笑う。何事もやると決めたらがむしゃらに突き進む。そんな甲斐さんですらゴールドマン・サックスという場所は異質な環境だったようだ。
「たとえ何年会社にいても、先輩に勝てる気がしなかった。みんなものすごく賢いうえに、ものすごく働くんですよ。最初の3年くらいは優秀な先輩に囲まれて、毎日凹んでました」。
少しずつ自分の思うように仕事が動くようになったのは、入社4年目以降だ。後輩と呼べる存在もでき、仕事も任されるようになった。その後、より大きな裁量を求めてバークレイズ証券に転職した甲斐さんはトレーダーとして着実に経歴を重ねていく。しかし30代に突入して「起業」の二文字が甲斐さんの頭を掠めるようになる。
甲斐さんが証券会社を立ち上げる過程は、【後編】で見ていこう。
 
藤野ゆり=取材・文 山本恭平=写真


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