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監獄のような精神病棟で爆発させたアートへの情熱

耳切り事件は新聞沙汰にもなり、「狂人」のレッテルは動かぬ評価として確立していった。
アルルの街にも居にくくなったゴッホは、市民病院の医師に「もっと思う存分、絵画の制作に打ち込める環境がある」と勧められ、サン=レミという街にある精神療養院へと移った。ゴッホ、36歳のことだった。
サン=レミの精神療養院に入院した直後に描かれた、ゴッホ36歳の作品。うねるような筆触は、ゴッホの高まる情熱が落とし込まれたものだと見られている。ゴッホにとっては挑戦心をかきたてられるモチーフだった。『糸杉』1889年6月 油彩、カンヴァス 93.4×74cm メトロポリタン美術館Image copyright © The Metropolitan Museum of Art.Image source: Art Resource, NY
サン=レミには糸杉がたくさん生えていて、ゴッホはたちまち魅了された。この地へ移ったゴッホは、テオに宛てた手紙でその喜びを文面いっぱいに綴っている。
「もうずっと糸杉のことで頭がいっぱいだ。これまで誰も糸杉を僕のように描いたことがないということに驚くばかりだ。その輪郭や比率などは、エジプトのオベリスクのように美しい」。
このときゴッホは、鉄格子付きの窓とベッドしかないような、三畳一間程度の小さな部屋に入院していた。それはまるで監獄のような環境で、常人であればますます気が滅入っていくだろう。実際にゴッホはここでも絵の具を飲んだり自殺未遂を図ったりと“奇行”を引き起こしている。
しかし、この時期のゴッホの絵はとても情熱的で、非常にポジティブなエネルギーに満ち溢れている。『糸杉』やあの有名な『星月夜』などは、このサン=レミでの療養中に描かれたものだ。ゴッホの画家人生でもっとも優れた作品が生み出された時期だと評する声も後を絶たない。
ちなみに、『糸杉』や『星月夜』などで見られる“うねる”ようなタッチは、彼の抱える不安と激情の投影だと見られており、ゴッホの絵をゴッホたらしめるオリジナルの筆触である。さらに言えば、太い輪郭線、盛るように厚く塗った絵の具、平面的な塗り込みなど、ゴッホの絵は激しく個性的で、そのどれもが当時の西洋絵画の常識からは大きく逸脱している。
しかし、“色使い”などを見ると実に理論的であることもわかる。例えば黄色と紫、赤と緑といった反対色を並べることで互いの個性を引き立てる「補色の理論」を意識的に使っていた。実はゴッホの絵は、決して色数が多いわけではない。それでもあれほど鮮烈でカラフルに見えるという事実が、ゴッホの持つ高い技術力を裏付けている。


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