情熱的な“狂人”が自死した理由
徐々に回復を果たしつつあったゴッホは一度パリへと戻り、弟のテオとその妻、テオの息子と3日間をともに過ごす。パリでテオ家族と幸せな時間を過ごしたゴッホはまたしてもパリを離れ、馬車で1時間ほどの場所にあるオーヴェル・シュル・オワーズに移り住んだ。
そのままパリに留まらなかったのは、テオに迷惑をかけられないと思ってのことだった。
ゴッホはオーヴェル・シュル・オワーズにいた約70日間という短い期間に、1日2枚という驚異的なペースで絵の制作にあたった。『カラスのいる麦畑』や『オーヴェルの教会』が描かれたのもこの時期だった。
そして移住から約2カ月後、突如として自らの胸をピストルで撃ち抜き、その生命を絶ってしまう。37歳という若さだった。
なぜゴッホは自殺したのか? その理由ははっきりとはしていない。だが、テオに宛てた手紙などから、テオへ経済的、精神的な負担をかけ続けることに耐えられなかったと推察される。
自殺に使ったピストルが発見されなかったことから「他殺説」もまことしやかに囁かれているが、真相は定かではない。一度は聖職者の道を志したゴッホだったが、自殺という結末を辿ったため、教会で葬式をあげることも許されなかった。
奇しくもその半年後、持病が悪化したテオは兄の後を追うようにこの世を去っている。33歳という早すぎる死だった。ゴッホ終焉の地となったオーヴェル・シュル・オワーズにある墓で、今もふたりは並んで眠っている。
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