OCEANS

SHARE

地元開催のオリンピック
何か携わりたいとアルバイトへ

1998年の長野オリンピック当時、吉澤健太さんは大学4年生。広告代理店に就職も決まり、卒業してから就職までの春休みは、郷里である長野市の実家でのんびり過ごそうと決めていた。そんなとき、親が「じゃあ春休みはアルバイトでもしたら?」と持ってきたのが長野オリンピックのアルバイト募集の告知。
「地元開催のオリンピック。せっかくなので生で見てみたい、何かに携わってみたい、くらいの気持ちはあったんですよ」というわけで、面接を受けることに。軽いといえば軽い気持ちだったが、面接を受けるとあっさり合格。アルバイト先は世界最大の写真用品メーカー「コダック」のプレスセンターだった。
プレスセンターでアルバイトをしていた際のパス。
「大学が中国語学科だったので、外国語がちょっと話せたんです。好きで海外へ長期旅行もしていたし、そういった経歴が買われたのかもしれません。一応、写真部にも入っていたし……」。
コダックのプレスセンターの仕事は、撮影された大量のフィルムを素早く現像、プリントするなど、世界各国から訪れた通信社や新聞社のフォトグラファーの活動をサポートすること。写真の知識があることは当然、強みになる。
ただ、この話を聞くとオリンピックのアルバイトと現在の仕事が結びつくのはごく自然のようにも感じるが……。
「いやいや、そのときは就職が決まっていたようにフォトグラファーで生きていこうなんて考えていなかったんです。写真部だって入部したのは4年生のときだし(笑)」。
コダックの受付でスタッフや各国のフォトグラファーと。日常ではできないさまざまな出会いがあった。
写真は、亡くなった祖父の形見としてカメラをもらったことをきっかけに始めたが、あくまで趣味程度。写真部に入部したのも、プリントの方法を習い、機材を使わせてほしかったのが理由だった。
「実家が看板屋で、子供の頃から物づくりは身近にあったから、ビジュアルやクリエイティブなことは好きだったんです」。
ちなみに広告代理店に就職したのも、何かクリエイティブな仕事に関われるかも、という淡い期待を持っていたから。だから、軽い気持ちで応募したオリンピックアルバイトだったが、仕事は刺激的なものだった。


3/4

次の記事を読み込んでいます。