一流フォトグラファーの
美しい写真に驚く日々
「仕事は基本的にはプレスセンターの受付。ネガやポジのフィルムを各社に提供したり、預かったフィルムを現像、プリントして渡す。大きなトレーラーに現像用の機械などがズラーッと並んでいましたね」。
ゆえに吉澤さんは、世界の第一線で活躍するフォトグラファーたちと直接やりとりをする機会に恵まれた。
「フォトグラファーたちは気に入った写真があると、よく自分用にもプリントしていたのですが、そのスポーツ写真が本当にすごかった」。
例えばフィギュアスケートの目に見えないような速さで決めたジャンプやアルペンスキーの素早いターンの瞬間をしっかりと美しくとらえた写真。どれも技術と芸術が一体となった素晴らしい作品だった。
「フィギュアなんて照明が暗いケースもあるし、外は天候が悪いときもあるうえに、選手が撮影のために止まってくれるわけでもない。撮影エリアは離れているし、なぜこんなに鮮明に美しく撮れるんだろう、と驚きの連続で」。
現在のデジタルカメラと違い、みなフィルムカメラ。撮影した写真をすぐチェックすることはできないうえに、撮影枚数にも限りがある。長年の経験が生み出すクオリティに舌を巻いた。
「感動して撮影方法を質問するなど言葉を交わすと、写真をプレゼントしてくることもあって。うれしかったですね」。
1998年といえばデジタルカメラが出始めた頃だが、クオリティの高い写真はまだフィルムカメラが圧勝という時代。その後、デジタルカメラの性能が急速に向上し、猛スピードで普及していくことを考えると、長野五輪は、オリンピックの報道写真という面では、フィルムとデジタルの端境期の大会、あるいはフィルムがメインだった最後の大会ともいえる。
スポーツの報道写真がほぼ100%デジタルカメラという現在は、撮影した写真をフォトグラファー自身がパソコンでチェック、セレクト、レタッチなどをして仕上げ、社に送ることがほとんどだろう。アルバイトが受付でフォトグラファーの写真を目にし、撮影した本人とコミュニケーションがとれる。それはフィルム時代だからこそ生まれるやりとり。吉澤さんは幸運だったのかもしれない。
「時間に余裕があると、自分が撮った写真をフォトグラファーやコダックのスタッフに見てもらったりして。“全然ダメ”と酷評されることもあったけど、勉強になったし励みにもなりました」。
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