OCEANS

SHARE

会社を辞めて写真の道へ
オリンピックは人生を変える

一流のフォトグラファーは、キャラが濃い人間も多く、人間的な魅力にも満ちていた。彼らと交わした言葉の数々、大きな望遠カメラをひっさげていく姿は、吉澤さんに強烈なインパクトを与えた。それはオリンピックが終わり、広告代理店で働き始めてからも吉澤さんの心をとらえ続けていた。
「自分も写真で生きていきたい」。
クリエイティブなことに関われるかも、と期待していた広告代理店での仕事は営業メイン。何かを作っているという感覚は薄かった。オリンピックで交流したフォトグラファーやコダックのスタッフたちは、吉澤さんの写真を酷評はしても、最後はこう言ってくれた。
当時よく顔を合わせていたフォトグラファーと。お祭りのような熱気のなかで、皆一様にフランクに接してくれたという。
「今度はお互いフォトグラファーとして会いましょう」。
1年もしないうちに会社を辞めた。そして写真エージェンシーのスタッフに転じ、フォトグラファーのアシスタント、スタジオ勤務を経て、30歳でフォトグラファーとして独立。現在に至る。
「オリンピックのアルバイトで“写真をやる”という意識が自分についたような気がします。当時は意識はしていなかったですが、内面が変わっていたのかもしれません」。
趣味程度に写真が好きだった大学生が、突然、報道の最前線で活躍する世界のフォトグラファーたちの写真に触れ、その仕事にまみれる。
日本各地や海外から集まったスタッフたち。大量の現像作業も、聞き取りづらい外国語でのやりとりも、不思議と苦ではなかった。
それは1人の人間の意識や人生を変える理由としては十分だろう。そんな日常では考えられない出会いが生まれるのも、選手だけではなく、さまざまな分野の最前線で活躍する人々が集まるオリンピックならでは。
「今思えばあんなチャンスは滅多になかった。僕は今の仕事につながりましたが、今回の東京オリンピック・パラリンピックも、誰かの人生を変えたり、大きな影響を与えるイベントになると思うと、なんだかワクワクしますよね」。

オリンピック・パラリンピックは紛うことなきスポーツの祭典。だが、選手やそのスタッフ以上に多くの人が関わり、選手と同じように懸命にその瞬間を過ごしている。たとえほんの一部だとしても、そこに参加することには、大きな意義があるに違いない。
 
田澤健一郎=取材・文


SHARE

次の記事を読み込んでいます。