無責任な発言をきっかけに、本当の不動産業と出会った
気持ちに変化が訪れたのは、数社の不動産会社を渡り歩き、30歳を目前に物件の管理部門に異動したときのこと。デスクワークが性にあわず、気分転換に……と思ってお客さんの内見に付き添うことにした。そのときは営業成績と関係がない部署のため、物件に対する正直な気持ちをお客さんと共有したという。
「狭いとか汚いとか言いたい放題(笑)。悪いところは悪い、良い物件のときは素直に良い! と伝えました。そうしたらお客さんがいままでにないくらい喜んで、感謝してくれて、良い仕事ってこういうことか……と妙に納得したというか」。
不動産業界に入っておよそ5年、やっと収入面以外でのやりがいを見つけた。“いい仕事がしたい”という欲求は、30代になる鈴木さんを独立に駆り立てた。
「どの不動産屋に行っても大して状況が変わらないなら、自分で良い不動産屋を開こうと思いました。戦略は特にありません(笑)。ただ来ていただいたお客さまにいい物件をご紹介して楽しく幸せになっていただきたい。それだけを考えました」。
32歳で立ち上げた誠不動産。もうすぐ独立して10年になる。目の前のお客さまに本気で向き合う、誠実をモットーにした不動産として自身の名前をつけた。
鈴木さん自ら部屋探しに内見にと奔走すると、当然、月に対応できるのは限られた人数だ。そのぶん完全紹介制にすることで丁寧な仕事が可能となる。
「一人ひとりのお部屋探しにじっくり時間と気持ちを割きたい。でも、これまでと同じやり方では変わらないと思って、完全紹介制とさせていただきました」。
驚いたのは創業以来、売上や平均来客数、単価などの数字を何もつけていないということ。数字やお金に振り回されるのでは、独立した意味がないと思い、意図的に記録していないのだという。
「やっているのは通帳残高の確認ぐらい(笑)。割とノープランでここまできましたけど、楽しいことをし続けていると人生って意外と何とかなるもんですよ」。
誠不動産に入ってすぐ目の前に飾られた、立派な誠の文字。名前に恥じない仕事をする。その矜持が鈴木さんの表情を輝かせていた。
藤野ゆり(清談社)=取材・文