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「楽しそう」なことは何でもやった20代前半

高校卒業後、自衛隊に入隊。体を動かすのが得意で、家族や親戚も公務員だったことから自然な流れだったという。とはいえ、記憶にはなかったものの幼稚園の文集で「将来の夢は、じえいたい」と書いていたというから、はからずも幼き頃の夢を叶えたことになる。
誠さん
「射撃訓練で丸2日間芝生の上に座っていたのが、19歳のとき。そのとき、自分何してるんだろうって(笑)。自衛隊の生活は楽しかったのですが、周りはみんな大学生活を謳歌していて……自分もいろんなことをしたいと強い憧れが芽生えていました」。
洋服が好きだったため、自衛隊に勤めながらも夜間の服飾専門学校へ通った。しかし、1年もしてバカらしくなってしまったという。
「自衛官として1週間山にこもらなければならない時期があったりして、課題を1つも完成させられなかった。中途半端なのはイヤなので、自衛隊も専門学校も1年で辞めました」。
その後、アパレル店員に転身。当時はまっていたクラブで夜はダブルワークをするなど、じつに好奇心に忠実だった。
「アパレルのお客さんがニューヨークに住んでいる人と友達で、話を聞いていたらめちゃくちゃ楽しそうだったので自分も2カ月後には仕事を辞めて、海外留学へ行ったり(笑)。楽しそうって思うと、すぐそっちに興味が向いちゃうんですよね」。
1年の海外生活の末に帰国。代官山にショップがある有名アパレルブランドに就職し、落ち着いた頃には25歳になっていた。その頃、販売店員の給与の低さに辟易し、人生を見つめ直し始める。
「社員割引が効くとはいえ洋服の購入代を引くと手取り12万円。さすがにキツいな……と思って部長に給与交渉をしたら断られたので、じゃあ辞めよう!って」。
気持ちいいほどの即断即決。迷いがないのは鈴木さんの特徴でもある。迷ったら楽しいほうを選ぶ。それが鈴木さんの行動指針だ。
「どんな結果になったとしても、人生は選択した自分の責任。それなら楽しいほうを選ぶほうがいいかなと思っています」。


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